すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

妄想の翼をもつ人

2015年02月05日 | 読書
 【2015読了】17冊目 ★★★
 『ねにもつタイプ』(岸本佐知子 ちくま文庫)

 かつて、この著者を「稀代の妄想家」と形容したことがある。現在も月刊誌『ちくま』で連載が続いている「ねにもつタイプ」原稿の2006年分までのセレクション本である。月に一度読むのであれば、クスッとくすぐられたりアラマァと呆れたりで済むのだが、一挙にまとめられたこのエッセイ?(というより創作)を読むと、どこか圧倒された気持ちになる。


 「稀代」と評価できるほど、他の妄想家を知っているわけではないが(どだい、妄想家は世の中に何人いるんだ)、なかなかお目にかかれない人だと思う。手軽なところから引用すると、「実体を知らずに字だけ」を見て妄想しているのは…「刺身。全身をめった刺しにされて血まみれの状態。またはその人。多くはすでに死んで冷たい」と、こんな調子の文章が続く。


 文章力は比べるべくもないが、自分が高2の時に教室で回覧ノート!に書きまくっていた発想に少し似ている気がして親近感がわく。それもあり妄想力の一つの正体は「知識のなさ」という仮説がわく。例えば、炭焼き専門家の岸本Q助の著作に「木酢液」という言葉を見つけ、「酸っぱいか」「鳥に塗りつける」と書けるのは、その液体の正体を知らないからだ。


 もちろんそれだけではない。発想力、連想力、構想力というか着想力、回想力、と言ってもいい。そういう「想力」が並外れている。そうでなければ、妄想はただの妄想であって、書籍という形は成さない。「ちょんまげ」が広がったわけに関する妄想は、奇抜なだけでなく鋭い指摘、視点を見せつけられたようで参った。あれは年配者のわがままから始まった。


 著者の職業は翻訳家。「どうやったら翻訳家になれるか」という質問に対して「とりあえず普通に」会社員になることを勧める。そこに自身のユニークな体験をちりばめられるというのだが、そういう体験や周囲の人物をどう観察し、そして内なる「語り草」に仕立てられるかという才能がないとやっぱり無理な気がする。「想像の翼」とかの村岡花子は言っていた。