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「自分」に溺れない処方箋

2015年02月09日 | 読書
 【2015読了】18冊目 ★★★★
 『「自分」の壁』(養老孟司  新潮新書)

 名著『バカの壁』が、人間同士が理解し合うことは不可能という点を述べたとすれば、この著は「自分」という存在も完全に理解するのは不可能だということを述べたと言っていいかもしれない。「チョウの幼虫と成虫は別々の生きものだった」という、進化論から外れるような仮説にはびっくりした。そう考えると「体内の他者」という表現もイメージできる。


 「自分探し」を批判したり揶揄したりする論は、かなり以前からある。そのキャッチコピー的な文句は、個性尊重の教育推進には一定の役割を果たしたが、実態は何だったのか。「自分探しをしている自分は誰」という一言で全てが崩れるように、所詮、探すべき自分とは幻想であるし、他者の存在まで取り込んで形づくられる人格という認識を持ちえないだけだ。


 虫好きの養老ハカセが強調するのは、自然と共生できる文化である。そして、もともと日本という国がその面で好条件をもち、長い歴史を培ってきたことにも改めて気づく。社会構造として確かに封建制が長く続き、階級差別もあったにしろ、欧米とは違った意味での多様性も大きく残っている。「日本のシステムは生きている」と書く第五章は読み応えがある。


 なるほどと膝を打ったのは次の一言である。「『まあまあ』という考え方には、実は『不信のコスト』を下げる知恵という面もあったのではないでしょうか」。古臭い、慣れ合い主義と批判される向きもあろう。しかし今風に言えば「折り合い」をつける積極的意義の一つとして、大多数で進んでいくことにより一定の信用維持ができるだろう。合理的な判断である。


 以前は「これが本来の仕事だろうか」とついぼやいてしまうこともあった。最近そう浮かんでこないのは、諦めということでない。この著にいみじくも書かれている「状況と仕事が一体である」「状況も含めて仕事だ」と感じていることが強い。現状に身を任せるのではなく、自分を軽くすることによってより鮮明に見えてくる状況もあり。仕事の筋が明確になる。