我が町に「祇園山」と名付けられた小さな山がある。
その名前をネット検索すると、鎌倉や宮崎県などの地名、山名としてヒットする。
ところが、それに「スキー場」と加えてみると、見事に本県本町にたどり着くことになる。
その山では毎年、町内の小中学生のスキー大会が行われる。
今年でもう40回を数えた。
40回かあ凄いなあと思いつつ、自分の勤務年数を考えれば、3回か4回目あたりから関わりを持ってきたことに、改めてびっくりする。
町内勤務が長かったので、毎年役員に駆り出されていた。何周年だかの時は貢献が認められて(笑)楯のようなものをいただいたこともある。
さて、この日曜日、本校児童も参加するし、選手宣誓も行うというので、3年ぶりに足を運んでみた。
空模様はよくなかったが、大会を参観した午前中はまさにスキー日和。
応援のために中腹まで登っていきながら、いろいろなことを思い出した。
雪に埋もれた小屋があった。もう10数年は使われていないかもしれない。
しかし、その場所は実に思い出深い。
ストーブが1個だけ置かれている狭い6畳ぐらいのスペースだ。
休日に子どもたちを連れて引率に来たとき、一人の女子高校生スキーヤーと語ったことがある。
その子はスキー場の近所に住んでいて、小さい頃からスキーに励んだ。
スキーの部活動が盛んな高校に入って、大会入賞など活躍も見せた。
しかし、最後のシーズン、怪我をしてしまい、もう競技は止めて就職するのだと言う。
旅立つ前に、一度ここで滑りたくてやってきたと語った。スキーについての思い出を懐かしそうに語ったことが印象的だった。
あれから30年ぐらいが経つわけだから、もうとっくにいいオバサンになったことだろう。
彼女も雪が降れば、この祇園山を思い出すだろうか。
自分にとってとても恥ずかしく、よくもまあという思い出がある。
新採用で若さに任せて子どもたちのスキー指導をしていた頃、たしか2年目だったろうか。
前年度、別地区で開催された大会ではある程度の入賞者を出せたのに、その年、ここ祇園山で行われた大会では地元の小学生たちに圧倒され、全然駄目だった。
「ナニをやっているんだ!」
自分の指導力のなさを、子どもたちの努力不足と転嫁したかったのだろう。
「帰りは、歩きだ!」
スキーを背負って、スキー靴のままで!自分も一緒に歩き始めた。
実は、そのスキー場から学校までは15kmほどある。無謀としか言いようがない。
現実や原因を心の中で明らかにしようとする余裕がなかったのかもしれない。
結果的には10kmほどのところでストップして、車に拾われた記憶がある。
誰かに止められたのか、足を痛めた子がいたのか、定かではない。
ただ覚えているのは、その日教員住宅に帰り、隣家で夕食を食べているときに、その家の主人(保護者の一人だった)から
「歩かせるのはいいけど、スキー靴の底がねえ…」と呆れられたことは妙に印象に残っている。
まったく感情に任せた、傍若無人なふるまいだったと思う。
よく周囲もそれを許したものだと…。
それから…と書き出せば、五つや六つはすらすらと出てきそうだので、ここでストップ。
その隣地区の学校に勤めたこともあるので、この場所との密着度が高いから、そうなるのだろう。
自分の思い出話の根っこにあるのは、寒かったり辛かったり、悔しかったり恥ずかしかったりする場合が多いようだ。
雪国の人間だからかなあ、とスキー場の中腹で思い浮かんだ。
その名前をネット検索すると、鎌倉や宮崎県などの地名、山名としてヒットする。
ところが、それに「スキー場」と加えてみると、見事に本県本町にたどり着くことになる。
その山では毎年、町内の小中学生のスキー大会が行われる。
今年でもう40回を数えた。
40回かあ凄いなあと思いつつ、自分の勤務年数を考えれば、3回か4回目あたりから関わりを持ってきたことに、改めてびっくりする。
町内勤務が長かったので、毎年役員に駆り出されていた。何周年だかの時は貢献が認められて(笑)楯のようなものをいただいたこともある。
さて、この日曜日、本校児童も参加するし、選手宣誓も行うというので、3年ぶりに足を運んでみた。
空模様はよくなかったが、大会を参観した午前中はまさにスキー日和。
応援のために中腹まで登っていきながら、いろいろなことを思い出した。
雪に埋もれた小屋があった。もう10数年は使われていないかもしれない。
しかし、その場所は実に思い出深い。
ストーブが1個だけ置かれている狭い6畳ぐらいのスペースだ。
休日に子どもたちを連れて引率に来たとき、一人の女子高校生スキーヤーと語ったことがある。
その子はスキー場の近所に住んでいて、小さい頃からスキーに励んだ。
スキーの部活動が盛んな高校に入って、大会入賞など活躍も見せた。
しかし、最後のシーズン、怪我をしてしまい、もう競技は止めて就職するのだと言う。
旅立つ前に、一度ここで滑りたくてやってきたと語った。スキーについての思い出を懐かしそうに語ったことが印象的だった。
あれから30年ぐらいが経つわけだから、もうとっくにいいオバサンになったことだろう。
彼女も雪が降れば、この祇園山を思い出すだろうか。
自分にとってとても恥ずかしく、よくもまあという思い出がある。
新採用で若さに任せて子どもたちのスキー指導をしていた頃、たしか2年目だったろうか。
前年度、別地区で開催された大会ではある程度の入賞者を出せたのに、その年、ここ祇園山で行われた大会では地元の小学生たちに圧倒され、全然駄目だった。
「ナニをやっているんだ!」
自分の指導力のなさを、子どもたちの努力不足と転嫁したかったのだろう。
「帰りは、歩きだ!」
スキーを背負って、スキー靴のままで!自分も一緒に歩き始めた。
実は、そのスキー場から学校までは15kmほどある。無謀としか言いようがない。
現実や原因を心の中で明らかにしようとする余裕がなかったのかもしれない。
結果的には10kmほどのところでストップして、車に拾われた記憶がある。
誰かに止められたのか、足を痛めた子がいたのか、定かではない。
ただ覚えているのは、その日教員住宅に帰り、隣家で夕食を食べているときに、その家の主人(保護者の一人だった)から
「歩かせるのはいいけど、スキー靴の底がねえ…」と呆れられたことは妙に印象に残っている。
まったく感情に任せた、傍若無人なふるまいだったと思う。
よく周囲もそれを許したものだと…。
それから…と書き出せば、五つや六つはすらすらと出てきそうだので、ここでストップ。
その隣地区の学校に勤めたこともあるので、この場所との密着度が高いから、そうなるのだろう。
自分の思い出話の根っこにあるのは、寒かったり辛かったり、悔しかったり恥ずかしかったりする場合が多いようだ。
雪国の人間だからかなあ、とスキー場の中腹で思い浮かんだ。