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桜と絵本と豆乳と

変わらなかった、という希望

2015年09月02日 | 雑記帳
 かつて愛読した雑誌『ダカーポ』。休刊となってしまったが、マガジンハウススピリットは残っているようで、「3時間でわかる戦後70年」と銘打って「戦後70年を考える」という特別編集号を発刊していた。内容は、いかにも本誌らしく、水木しげるの漫画に始まり、政治だけでなくスポーツ、芸能等々幅広い。


 「戦後はいつまで続くのか?」という問い立ては、ダカーポらしい。語義から考えれば当然「次の世界的な戦争が始まるまで」となる。しかしそれ以前に、論客萱野稔人は「戦後は一体いつから始まったのか」と問いかけ、それが1945.8.15という大方の捉えを否定する。厳密に考えることから見える意味は大きい。


 占領下は戦後だったのか…形式としての判断ではなく、どんな意識を国民が持っていたのか、それは正直想像できない。しかしおそらくサンフランシスコ講和条約までの6年で決まったこと、固まったことは大きいのだろうなと思える。諸問題の元をたどったときに、「戦後」でない戦後の持つ重みは、想像以上だろう。


 各分野の重鎮の文章も興味を惹く。演出家鴨下信一は、ドラマを「集団→個への流れ」と位置付けた。社会を典型的に反映する娯楽が、そう示されたのは当然であり、現在の社会状況も次の一文に尽きるだろう。「芸能人もメディアもどこか委縮している。この状態ではドラマをはじめ面白いものはなかなか作れません」


 委縮がありドキドキする面白さに欠けることは、若き社会学者古市憲寿が書くように「希望も絶望もない時代」と言える。生き抜く処方箋は見つからないが、古市がぽっと書いた「戦前から変らなかったものも多い」という現実は、70年という年月で磨かれ、さらに光り輝く可能性もある。それを見つけられるか、だ。