すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

9月号のキニナルキ

2015年09月12日 | 読書
 『図書』
 「最初からコミュニケートできる本に、おそらく読む価値はない。どこかよそよそしい本のページをめくるときにこそ、実りある読書が始まる。」(福嶋聡) 読書に何を求めているかが、まず問われる。それをコミュニケーションと括れば、自分のコミュニケーションの方向や対象とまったく重なってくるのだろうな。


 『新刊展望』
 「二年、三年経つうちに、雪平のほうから〈そろそろまたきちんと歳をとってきたよ〉と言われた気がして…」(秦建日子) あの『アンフェア』の原作者がそんなふうに語っている。作家なら当然かもしれないが、内部に別の人格を育てている。内なるエネルギーを昇華するため、表現者の一つの手法として典型的か。


『ちくま』
(鶴見俊輔は)あらゆるものは途上の段階にあり、それについて語ることは、とりあえずの、いつでも訂正のきく言葉でなければならなかった(四方田犬彦) 恥ずかしながら、学生時代『思想の科学』誌を購読していた。最終的なものはまだ遠くにあるとアホみたいに考える癖は、当時からか。影響を受けていた。


 『波』
 「伝えたいメッセージがある人は、その場に立つだけで、相手に何かが伝わります。」(吉田尚記) 「何か」が「伝えたいメッセージ」とは限らないだろう。しかし、おそらくは「伝えたい」という強い気持ちが引き起こす存在のゆらぎ?は見える。少なくとも、伝えることを職業としている人はその感覚を身に付けている.


 『窓』
 「私たちは、一見、公正に見えるインターネット社会で、情報操作の大海原に漂っている」(平田オリザ) ネットは世界共通であるから、世界中と情報を共有しているような錯覚にとらわれてはいけない。操作された情報によって、私たち自身が狭められ、閉ざされた空間から抜け出せなくなっている可能性もある。