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加工の発想、発酵の思想

2015年09月07日 | 雑記帳
 JR東日本の発行する小冊子に、狂言師の野村萬斎の記事があった。

 伝統芸能を継承する第一人者の一人と言ってもいい彼が、芸の本質を突き詰めたい思いを抱くのは当然であり、その先に「自分は何者なのか」という問いがあるのだという。

 結局、それは「日本のアイデンティティーとは何かを考えること」と語る。
 そして、考えつづけた結果を、こんなふうに表している。

 ひと言で言ってしまえば、この国の文化は「発酵」文化である、というのが今の僕の持論です。


 この文章を読み、ふと思い出したことは、唐突だが「加工貿易」という言葉だった。
 小・中学校の社会科の授業で、また参考書の記述に何度も何度も出てきた気がする。
 曰く「日本は、資源の少ない国です。そのために外国から原材料などを輸入し、それを加工して製品にして、他の国へ輸出するのです」と…。

 なるほどと頷いたものの、地方の農村に住んでいる若かりし頃の自分に、しっくりとその知識が根づくまでは時間が必要だったなあ、と越し方を思い出す。

 「加工貿易」と「発酵」は即時には結びつかないが、「加工」の「時間や質」と言い換えられないわけでもない。


 もう一つ思い出したのは、予防医学研究者・石川善樹の語ったこと。

 日本ってどうも、「半歩ずつの徹底的なイノベーション」がすごく得意な国だと思うんですね。

 日本人は自分で新しく枠組みを作るのは苦手だけど、なにかで枠組みができてしまえば、半歩ずつ徹底的に突き詰めていく。そういうのがすごく得意な国だと思うんです。


 よく言われるロボット産業やシャワー付きトイレのこと、ガラケーと呼ばれる携帯電話もそうだし、また料理や食品などにも多く当てはまりそうだし、いくつか思い浮かぶこともある。

 「発酵」となると、もう少し高級?になるだろうか。
 萬斎はこんな言い方もしている。

 入ってきたものを日本式につくり変え、別の何かを生み出す。日本独特のものに発酵させ、変質・変容させてしまう。

 
 そして、もっとも肝心なことは次だ。

 そういう自分たちが持っている独自性に、最も気付いていないのは日本人だと思います。


 加工の発想、発酵の思想みたいな学習を意識してみたいと思った。