すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

偏愛と執着の人、語る

2015年09月27日 | 読書
 【2015読了】92冊目 ★★

 『小川洋子対話集』(幻冬舎文庫)

 時々(年に2,3回か)ラジオで小川洋子の読書紹介みたいな番組を聴くことがある。高音でソフトな印象のする声質が特徴的だ。文章の静謐さとはちょっとばかり違うが、その声のイメージでこの文庫を読んだ。対談相手は様々だけれど、作家とは、このように話す中で自らの小説の書き方の秘密を語るものだなと感じた。


 作家田辺聖子との対談にある一節。「結局、小説というのは、ストーリーとか役に立つ教えとか、論理じゃなくて、ほんとに些細な、小さなことの積み重ねで支えられているものだなというふうに思います。」まさに、小説という言葉の由縁を語っている。「大説」でない話に、どれだけ普遍性を持たせるかということだ。


 レベッカ・ブラウン、柴田元幸との鼎談ではこのように語っている。「私の場合は、小説のある場面が頭に浮かんできまして、それは非常に鮮やかなんです。」ストーリーが思い浮かぶのではなく、場所が初めに出てくるということを別の対談で語っている。場所の印象、一瞬の記憶を拡げていく才能に長けている作家だ。


 発刊された頃、名作『博士の愛した数式』がベストセラーになったので、対談のなかにも数学の話題が何度か出てきている。特に、詩人清水哲男との対談で「数学と現代詩」について語られた箇所は刺激的だった。「わからないところを光栄にする」共通性?は、人間がいかに知的存在であることを証明するような言葉だ。


 佐野元春、江夏豊とはマニアックに音楽、野球の話をする。五木寛之とは宗教論、人生論を語る。これらも興味深かったが、読んで一番笑えたのは翻訳家岸本佐知子の巻、稀代の妄想女王とのやり取りは、およそ社交的とは言えない二人の生々しさが妙に伝わってきた。似ている要素がある…偏愛と執着こそ資質だ。