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桜と絵本と豆乳と

ある引退~概念と感覚

2015年09月15日 | 読書
 【2015読了】89冊目 ★
 『騎手の一分 競馬界の真実』(藤田伸二  講談社現代新書)

 【2015読了】90冊目 ★★★
 『養老訓』(養老孟司  新潮社)



 『養老訓』の「訓の弐 感覚的に生きる」が考えさせられた。感覚的思考と概念的思考について語る。特異な進化をして文明を築けたのは、人間が概念的思考を持てたからに他ならない。複雑な言語を操り、物や土地、ある意味では時間まで支配し、地球上の大半を手に治めるべく、概念による囲い込みを止めない。


 人気ジョッキーであった藤田が引退を発表したのは今月上旬。2年前に発刊した新書を取り寄せてみた。そこにはエージェント制(競馬記者による騎乗馬の仲介)に毒されている?業界に対する不信を中心にしながら、レースを取り巻く様々な実情が記されていた。言ってみればこれは概念的思考の横行だと思った。


 乗馬にしたって感覚ばかりでなく概念的思考が必要だ。まして競馬というスポーツ(ギャンブルでもある)においては当然、その思考で動いていく要素が強い。しかし様々な開放策やら情報産業の拡大によって、行き過ぎた時流となり、馬と騎手と関係者が、感覚で分かり合うことが制限されている。その嘆きである。


 そんな現実に愛想をつかしての引退は、感覚的だろうか、概念的だろうか。騎乗馬が少なくなる現実への判断は、やはりとても概念的だろう。ある意味で馬に乗り、速く走るという点を研ぎ澄ましていれば、選択は別に転がったかもしれない。結局、何事も毒されている自分をどう見つめるか。その中で何を信じるか。


 概念的思考から脱け出せない人間だとすれば、あらゆる選択の時にいくつかの訓があればいい。養老先生はかく語る。「決まりごとに束縛されない」「制度を過信しない」「抜け道は悪くない」等々、つまり「いいかげんがいい」ということ。自分の感覚を信じるには、こんなふうに文字ばかり見ていては駄目だなあ(笑)。