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20年前の「支援」を見ながら

2015年09月13日 | 雑記帳
 20年前の古い研究紀要を見ていたら、当時の研究主任が「教師の支援」という資料を載せていた。「支援」という言葉が使われ始めてどのくらい経った頃だろう。生活科が始まり「支援」を浸透させることが大きな流れだったように思う。やや俯瞰した形でそのことを振り返られる今でも、この資料はなかなか面白い。


 支援を5種類に分けている。「1見守り待つ支援(理解)」「2受け入れる支援(共感)」「3うながす支援・引き出す支援」「4教える支援」「5制御する支援」若干カテゴリーが違ったり、レベル差を感じたりする表現はあるが、そこに盛られたなんと50!の支援行動は、なかなか興味深い。ポイントは2と3だ。


 「2受け入れる支援」は全部で13。「受け止め」「代弁する」「承認する」「許容する」「感嘆表現」「称賛する」「感謝」「同一行動」「応じる」「確認する」「慰め」「うかがい」「希望確認」…これらは日常のコミュニケーションの共感行動でもある。自分は何を一番多く使うか、また苦手なのはどれだろう。


 自分に少ないのは「感嘆」や「称賛」かもしれない。子ども相手には出来るけれど、大人だと、ついそれよりも…と追求的な意識が出てきてしまい、きつい言い回しになることを反省する。結局「受け入れる」という寛容さに欠けることなのか。その点、多くの同僚はその点をクリアできていて、羨ましい限りである。


 「支援」は今や一般的な語。この流布が教育界に影響を与えた面は大きい。いや、時流がそう動き「支援」が後押ししたと言えるかもしれない。「支援でなく厳とした指導を」といくら述べても、受け入れられる要素は狭まっている。その現状を作り出してきた責任の一端は自分たちにあることも自覚せねばならない。