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桜と絵本と豆乳と

状況依存する強さ

2017年07月08日 | 読書
 「自分は死んでも困らない」…先日の講演会ではそう語られた。自分が死んで困るのは周囲の人であり、自分ではない。養老先生の本は、新書を中心に何冊か読んでいるが、半分も理解できないなと思うことがしばしばだ。しかし時々どきっとするような、今まで考えてもみなかった知見に遭遇する。この本もそうだ。


(もう、しっかりと飛んでいる蜻蛉)

2017読了72
 『骸骨考』(養老孟司  新潮社)

 レヴィ・ストロースの「人類社会は交換からはじまる」という言葉の意味を、ああ確かにそうだ、とこの本を読んで初めてそう思った。つまり、「交換」をするのは人間だけだという、ごく当たり前のことに思いめぐらせた。それは物々交換やお金のことだけでなく、「相手の立場に立つ」という認知の場でも成立する。



 意識と身体は、著者にとって理論の核だろうし、頻繁に登場してくる。結論として「身体が意識を根本的に左右している」が挙げられるが、凡人はその逆のように考えたりする。怖いのは意識の肥大化だろうか。個性が持てはやされることを尻目に、この超個性的な著者はこう書く。「要するに私は状況依存なのである


 これは痛快。さんざんバカにされてきた状況依存や「空気で決める」ことに対して、ひどく寛容である(もっともそのレベルは判らない)。そして「状況依存ほど『客観的な』決め方はない」とも言い切る。つまり、それは「いまを生きる」という覚悟だ。情報化に振り回されるな、直観を鍛え、信じよ、ということか。