「ドクダミ」は字面だけだと「ドク」(毒)の方が強調される感じがして、いいイメージは持たれない気がする。
しかし語源からいうと「毒を矯める(正しく直す)、毒を止める」から来ている正義の味方なんだと改めて思う。
言葉そのものが、悪や正義ではないけれど、いろんな時に「力」にはなるのだと…今日も掬い上げてみる。
Volume59
「この、繋がってしまった世界で、仲良く、足るを知る、心静かな暮らしはどうしたら可能か」
作家森まゆみの言葉。
「繋がる」は一般的にはいい響きで用いられる。しかし「しまった」という表現でわかるように、それによってどうしようもない縛りに陥る場合もある。
仕事上のこと、家族や身近な範囲のことだけでなく、県や国や世界中の出来事が、実は繋がっている。
見えるか、見えないか。もしくは想像できるか、思いもしないか。
個々の様相は様々なれど、もはや、繋がりに無意識ではいられなくなっている。
Volume60
「『大人を経た子ども』になること」
あのラッキー池田の著書を、明治大学教授齋藤孝がそう題して書評を書いている。
齋藤はこんなふうに解説している。
「気を使い過ぎて消極的になるところは日本人の弱点ですから、私たちは『大人を弁証法的にくぐり抜けた子ども』を目指すのが、いいと思うんです。」
よく「子どものような心を持った人」とは言うが、その表現がおそらく近いのだろう。
しかし、現状はまた皮肉な状況にあるようにも思う。
最近の「大人」(自分を棚上げして)を見ていると、単に「子ども」ではないか、と思えることが多くないか。
「大人」をくぐり抜けていない、いやそれは、もっと前の「子ども」をくぐり抜けていないことだ。
社会、教育の責任は大きい。
もちろんそんな単純な分析、批判をしている時でないこともわかっている。
しかし語源からいうと「毒を矯める(正しく直す)、毒を止める」から来ている正義の味方なんだと改めて思う。
言葉そのものが、悪や正義ではないけれど、いろんな時に「力」にはなるのだと…今日も掬い上げてみる。
Volume59
「この、繋がってしまった世界で、仲良く、足るを知る、心静かな暮らしはどうしたら可能か」
作家森まゆみの言葉。
「繋がる」は一般的にはいい響きで用いられる。しかし「しまった」という表現でわかるように、それによってどうしようもない縛りに陥る場合もある。
仕事上のこと、家族や身近な範囲のことだけでなく、県や国や世界中の出来事が、実は繋がっている。
見えるか、見えないか。もしくは想像できるか、思いもしないか。
個々の様相は様々なれど、もはや、繋がりに無意識ではいられなくなっている。
Volume60
「『大人を経た子ども』になること」
あのラッキー池田の著書を、明治大学教授齋藤孝がそう題して書評を書いている。
齋藤はこんなふうに解説している。
「気を使い過ぎて消極的になるところは日本人の弱点ですから、私たちは『大人を弁証法的にくぐり抜けた子ども』を目指すのが、いいと思うんです。」
よく「子どものような心を持った人」とは言うが、その表現がおそらく近いのだろう。
しかし、現状はまた皮肉な状況にあるようにも思う。
最近の「大人」(自分を棚上げして)を見ていると、単に「子ども」ではないか、と思えることが多くないか。
「大人」をくぐり抜けていない、いやそれは、もっと前の「子ども」をくぐり抜けていないことだ。
社会、教育の責任は大きい。
もちろんそんな単純な分析、批判をしている時でないこともわかっている。