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桜と絵本と豆乳と

最果からのキニナルキ

2017年07月29日 | 読書
 いつ頃だったろう、この詩人の存在が気になったのは。まず名前がいい。「最果タヒ」。どこか人を寄せ付けないような響きがある。妙にフレンドリーな雰囲気を漂わせる輩とは違う。この30も年下の詩人の言葉を拾ってみた。…と言いながら、まだきちんと単行本を読んでいないので、近々詩集を買おうと思っている。

Volume66
 「人間というのは別々で暮らしているし、だから思考回路も価値観もバラバラだけれど、しかし実は多くが重なっている。(略)その重なっている部分になじんでいく言葉や話は、どんなに離れていても伝わっていく。感情なんかよりそういうものがずっと近くにあり、響き合っているのだ」

 「重なっている部分」とは、日常生活における衣食住のことであったり、寿命だったり、ごく普通に見聞きすることなどを指している。
 その「事実」がとても大切で、ディテールを突き詰めていくことによって、「自分」が伝わっていくということじゃないかな。
 感情だけを先走って口にする傾向がある。それでは、伝わることは少ない。


(十数年ぶりに花を開かせた我が家のサボテン)

Volume67
 「命の話は、『それすなわちそなたの心の美しさ』みたいな態度で、その人の口から飛び出す言葉を見張っている。測っている。」

 「命」を「生死」と置き換えて考えれば、半径数メートルの話と、距離の遠い話では、ずいぶん差があるか。
 遠ければどうしても「想像できない、想像しない、想像しようとしない」…いろいろなレベルを混在させつつ、人は自分で論理を組み立てる。
 それは、あまり美しいとは言えない気がする。何を見つめているか、ということだろう。


Volume68
 「一回見たらもうその作品は用済み、という価値観はただただ趣味の問題と思うし、そういう人たちにとって、ネットは都合がいいだろうなあ、と思う。でも、彼らが一番ネットに、なにがしかのおいしいものを吸い取られていっているような気も、実はする。」


 プロの写真家がネットに自らの写真をアップしている話題から、そのサイトの見方について語っている。

 きっと「なにがしかのおいしいもの」とは、人生でかなり重要なものではないか。
 見ていて、ああ、ああっと気づかなければならない。「待て」と断ち切らなければならない。と、自省を込めて思う。