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子どもの変貌を目にしたとき

2017年07月22日 | 教育ノート
 とある研修会に呼ばれ、少し話をしなければならなくなった。
 参加対象者がどうあれ、結局のところ自分の経験でしか語れないので、おのずと拙い教職生活を振り返ることになった。

 「子どもの見方」という点で、考えさせられた出来事、忘れられないポイントがいくつかあるが、この二つは特に印象深い。


 S小学校に勤めていた時だから、昭和の終わりか平成になったばかり、三十年近く前のことになる。
 その日の6校時は委員会活動だった。
 4年以上の学年が授業を終えてから集合し、保健委員会や放送委員会などの所属に分かれ計画にそって活動する場だった。教師になり10年ほど経っていた私は、当時もう「怒らない」でも子どもたちを動かす術(すべ)を一定以上身につけていた頃だと思う。
 指導していたのは、環境委員会の子どもたちで、分担や順番をどうするか相談していた時だ。
 一人の子がなかなか集中せず、注意しても話したり、他の子へのちょっかいを出したりするのを、止めなかったので、仕方なく(もしかしたら結構熱くなっていたのかもしれない)「やらないなら、帰れ」と叫んだ。
 ひと呼吸あって、その子が言った言葉は
「じゃあ帰る」。
 そう口を開いて、その場から立ち去っていってしまった。
 小学校4年生の男の子が、教師からの一言をそんなふうに「受け取る」時代になったことを、実際に感じ取った一瞬である。

 「帰れ」と言われて帰ることは、その集団からはじき出されることで、そういう意識が薄い子、つまり自分が良ければ人からの目は気にしない子の出現。
 もちろん、もっと前からそういう子は居ただろう。しかし実際に小学生のうちから、それも山間部の小さな小学校で、それを平然と行う子が目の前に出てきたことは一つの典型かなと感じた。

 その子は現在40歳前後で、小学生の親であっても不思議ではない世代。
 もちろんそんなに短絡的な見方はしないが、流れとしては考えられる。



 もう一歩進んだと思ったのは、K小に勤めていた18,9年前のこと。
 教頭として勤めた小規模校で、複式解消授業で4年生の算数をしていた時だった。

 ドリルによる個別練習で、ある男の子へ2桁のわり算を教えていた。
 筆算をしていて、いつも同じような箇所を間違うので、「ほら、ここをいつもこうやってしまうから、合わないんだよね」とやさしい口調で間違いのわけを指摘したら、その男の子の手が止まり、黙ってノートを見つめている。
 「どうした?」と尋ねると、怒ったような声でこういう。
 「ぼくは、悪くない」
 「えっ」と驚くと、さらに強く
 「ぼくは、悪くない」。
 あとは泣き出してしまった。

 直接口にしたわけではないが、その子の反応からは、こんなふうに覚えさせてしまった、こんなふうに間違ってしまう自分にした大人、親や教師に対する不満が強く感じられた。

 これは、いいことは自分、悪い事は自分以外の他者、という区分けをするような、言い方として妥当かどうかわからないが全能感のようなものに通じている気がした。
 責任などという言葉を噛み締めるのは、もう少し成長してからだろうが、結果をしっかり見ない、悪い事には目を背けるという傾向を見せる子がその頃からだんだんと目立つようになった。

 その後の教職生活でも似たような子がいたっけなあと、今改めて思い出している。