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「負けました」の姿

2017年07月03日 | 雑記帳
 将棋の藤井聡太四段公式戦連勝の報道は、ちょっとエスカレート気味ではないか、注目され過ぎて少しかわいそう…そんないわば俗な感想しか抱けなかった。しかし連勝ストップの場面やニュースに接して、改めて凄いことなんだなと(これまた俗な言い草だ)と思ってしまった。何より「負ける姿」がいいなあと感じた。


 「負けました」と片方が言い、そこで終わる試合はめったにないだろう。スポーツで「ギブアップ!」と叫んで終了は確かにあるが、静的に落ち着いて口から発することとは訳がちがう。かの時、藤井四段はきちんとジャケットを着たうえで、その言葉を口にした。礼儀正しく、潔く…観ている者の感性に訴えかける。



 将棋は並べる程度の知識しかない。身近にそんな趣味を持つ人がいたか、記憶をたどってみると、母方の祖父が将棋盤を前に正座で指していた姿がかすかに目に浮かぶ。三十年近く前に亡くなった祖父だが、寡黙で世の中を達観していたような風情があった。自分も幼い時に少し習っていれば…と思ったことがあった。


 あれはある小規模校に勤務していた頃、なかなか教室に入れず難儀していた男児がいた。その子の趣味の一つに将棋があることを知り、ではということで、何故かその子自作の紙で作った将棋の駒で、連日のように校長室で対局していた。男児のレベルは初心者であり、私がつき合いながら指すには格好の相手だった。


 本気を出さず、ある程度まで指して負けるという繰り返しを続け、その子に自信を与える配慮をしていた。嬉々として数週間続け、そろそろ一回ぐらいこちらが勝ってもいいかと「甘い一手」を繰り出したのが運の尽き。次の日から姿を見せず、紙の駒もどこかへ追いやられた。「負けました」と痛感した一コマである。