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海洋国の気配

2017年07月18日 | 雑記帳
 「海」という漢字のつくり「毎」は、「晦(くらい)」や「悔(くいる)」に使われている。この字は『字源』に「多くの髪飾りをつけた女の姿で、頭上が鬱陶しいような状態をいう」と記されている。それに続けて「『うみ』の意味に用いる」とされる。つまり、「海」に対して明るいイメージの様子は想定していないのだ。


 一方『大漢和辞典』を調べると、「海」の解字としてずばり「暗い色のうみのこと」と載っている。解説によれば、北方の中国人が知っていたのは、玄海・渤海などの暗い色をした海であり、それがもとになる。文明の進んだ中華の国にとっては、海の広大さが「知られざる暗黒の世界」と思え、そう表現されたのか。


 
 「うみ」と読むことの出来るもう一つの漢字「洋」は、逆にイメージが明るい。なんと言っても「美」につながる「羊」が音。「ひろい、あふれる、さかん」という意味を持つし、「海洋」と使った場合は大きな海を指すことになる。「太平洋」「大西洋」等と「日本海」「瀬戸内海」等の違いを、勉強したことを思い出す。


 「海洋国日本の繁栄を願う」趣旨の祝日制定であるが、他と同様に一部の祝事に留まるのは仕方ないか。さて「海の日」自体がかなり季語として浸透しており多くの句があったことは少し驚きだった。そして、なんとなく日本の現状も見えて寂しくなる気配を感じる句が多い。これも「海洋国」の宿命か。三句紹介。


 海の日の国旗疎らに漁夫の町(千田一路)

 日の丸を捨てず使はず海の日よ(於久喜代子)

 海の日や海を埋めゆくブルドーザー(会田仁子)