すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

楽譜通りの見事な終章

2017年07月19日 | 読書
 この人はいつまでも死なないんじゃないかと思わされる方が、自分にもいた。
 けれど、残念なことにこの春の満開の桜に見送られて逝ってしまった。

 昨日亡くなられた日野原重明先生もテレビやその著書でしか存知ないが、なんとなくそんなことを思ったりしたことがあった。

 『ほぼ日』でずいぶん前にインタビューに応じている。
 改めて読み返してみて、しみじみ味わうべき言葉に再び出会った。



 ◆日野原重明さんに聞く「これでも教育の話」より

Volume62
 「ほんとうに、死ねば多くの実が結ぶからね。ひとりの人間は、まずは一つの麦だけど、このまま麦であるだけなのか、それとも死んだあとに実を結ぶように成長するか、そういうことがこのテーマだったなあ、と偶然に驚きました。」

 よど号ハイジャック事件の人質になったことが大きな転機と語った。
 その時、犯人に渡された本『カラマーゾフの兄弟』の冒頭、聖書の一節を読みながら、そんなことを思ったのだという。


Volume63
 「『こんなもの食べたら、胃潰瘍になって出血します。やわらかいおかゆじゃないと、ダメだよ』すべて、「ドント・ドゥ」の話でしょう?でもほんとは、よーく噛んだら、クチの中でベタベタになるわけでして、それも同じじゃないかと思うんです。だから、『おかゆじゃなきゃダメ』じゃなくて、『ベタベタにすれば食べられる』ということを伝えるべきだと思うんです。」

 「ドント」から「レッツ」の教育へ、を強調している。
 禁止の教育から、共励の教育へといった方向は、ずっと薦められてきてはいるが、どの程度実現しているものか。
 そう考えると、心の底から発想を切り替える学習や努力が不足なのではないかという気がしてくる。


Volume64
 「人生の99%が悲劇でも、最後、別れる時に、生まれてきてよかったねえとか、意味があったよというか。“終わりよければすべてよし”というシェイクスピアの言葉です。で、年をとるというのは終わりだからね。だから僕は終わりに向かってのクレシェンドが、人生なんだと言ってるんです。」

 インタビューの最後にこう締め括られた。
 達観した心境と呼んでもいいかもしれない。
 しかし、デクレッシェンドで次第に弱めていくのではなく、クレッシェンドで強めていくという、構成する精神力のなんたる強靭さ。

 楽譜通りの見事な終章なのだと思う。