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おにぎりの味が心に届くには

2017年12月07日 | 読書
 今「おにぎり」と言われて、反射的に連想する言葉が「コンビニ」という人は多いと思う。それが時流だろうし、実際おいしく考えられた商品が並んでいるからね。しかし、本当に「心に届く、残る」おいしさとはまた別の次元だろうなと考えてしまう。


(UGO clear winter skies 2017.12.07)

Volume88
 「世の中でいちばん好きな食べ物はなんだと問われたら、私は必ずや、『おにぎり』と答えることにしよう。」

 雑誌『波』の連載で、阿川佐和子さんがそう書いている。
 幼い頃プールで泳いだ後に、母親が用意してくれた「おにぎりを頬張ったその瞬間に、心に期した」のだそうである。
 そのおにぎりは、当然ながら素手で握られ、俵型だったそうな。

 少し似た思いを自分も抱いていた。
 一時期「死ぬ前に食べたいものは何?」など訊くことが流行った?が、その時に浮かんできたのは「みそおにぎり」であった。

 幼い頃(いや中学生ぐらいまで、あったかもしれない)母親がいつも作ってくれた俵型の、味噌をまぶしただけのにぎり飯である。

 それは学校や出かける時に持っていくおにぎりではなく、腹を空かせて帰ってくる自分たちのために用意されたものだ。
 だから、もちろん炊き立てなどではなく、炊飯器かおひつに残った飯で粗末に握られただけのものである。こげついた部分も混ざっている、まさに「ニギリマンマ」と呼ぶにふさわしい見かけで……

 そう言えば、確か「ああ、ニギリマンマ喰いでゃなあ」と書いた記憶があったので調べたら、もう十年以上前のことであった。
 http://blog.goo.ne.jp/spring25-4/e/5e747fb139e4e24bf68774837c2fc8b1

 その頃は、母も健在であった。
 そう思うと、なぜその時すぐに「握ってけれ~」と甘えることができなかったのだろうと少し悔やむ気持ちが出てくる。

 そんな様々な思いは、時に親しい誰かが握ってくれる姿を見てご飯の中に入り込んでいくのかもしれない。
 想像をかき立てられたおにぎりは、おいしさが舌だけでなく心に届くような気がする。。