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欲しがらない怖さ

2017年12月13日 | 読書
 「欲望」の語意は「不足を感じてこれを充足させようと望むこと。また、その心」である。「ほしがること」の前提は不足や不満であるから、『低欲望』とは個人にとって望ましいのではないか。そんな思いが浮かぶ。ただ、その状態が、今風に言えば「持続可能」なのかどうか。その果てには、どんな明日があるのか。



2017読了123
 『低欲望社会』(大前研一 小学館新書)


 著者は、書名である「低欲望社会」を批判しその改善を目指してこの新書を出した。副題は「大志なき時代の新・国富論」。正直「難しい」本だ。そして「怖い」本でもある。文庫『質問する力』を初め、いくらか本や雑誌論文を読んではいるが、今まで以上の迫力、ズバッと言い切るパワーに少し圧倒されて読了した。


 「難しい」のは、アベノミクス等の政策を酷評、批判する経済理論内容もある。ただ、それ以上に読者である私たちが、その政策に流されて佇んでいる状況の改善を促されても、踏み出すための決断事項があまりに多い、抵抗も予想される「現実」が見えるためだ。著者が「心理を和ませよ」と強調する訳もそこにある。


 「怖い」のは、ずっと以前から喧伝されている国の借金漬け状態を繰り返し語るからである。そこからの脱出条件をまたズバリと指摘されることは、頭で分かっていても、やはり絶句だ。「戦争勃発」か「歳出40%オフ」か「消費税20%」か。そして最終的にはそうでない時のハイパーインフレ。想像したくもない未来だ。


 危機的状況の到来を思い煩うことは益々「低欲望社会」につながり、国を支えていく若者を「内向き・下向き・後ろ向き」にするかもしれない。そこが一番の問題とも言える。同質的社会の居心地の良さの果てに何が待っているか。自分たち世代がどうあれ、異質性・多様性との折り合いに成長を見つけねばならない。