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ソレゴソ、問題ダベ。エッ?

2017年12月20日 | 雑記帳
 かつて秋田を「ソウスレバ王国」と密かに名づけたことがある。こんな文章も書いていた。この頃、あるラジオ番組を聴いていて、パーソナリティが「それこそ」を乱発していることに気づいた。「ソレコソ」(発音はソレゴソ)、この言葉も結構無意識に使っている人が多いんじゃないか、ソレゴソ、貴方の隣の人も…。



 「それこそ」という語は、見出しとして辞書にあるのか。手元の紙版の大小2種の辞書には載っていなかったが、電子辞書の3つには入っていた。広辞苑では「①「それ」を強める言い方 ②そうであれば。そうなれば。まさしく」となっている。私たちのソレゴソは、②に該当するように思うが、それだけでもない。


 「〇〇さんって□□だよなあ」に対して「ソレゴソ△△でないの」といった返しがある。その時、□□と△△の関係は相対性より類似性が強いパターンが多いだろう。相手の声を引き継ぐ形で「そうであれば」とつないで、自分の述べる事柄を強調するニュアンスが出る。指摘、概括、要約などいくつか考えられる。


 会話のつなぎ言葉として「それこそ」は、ソレゴソどうなの?と自問してみたら、やや詰問調になることに気づく。例えば「貴方はどう思う?」は「ソレゴソ、オメェはドウダナ?」と言い換えられても不思議ではない。つまり、話題になっている事項だけでなくその場の状況的な要素も含むので、つかい回しがいい。


 「大相撲界も大変なごどなってるなあ」に対して「ソレゴソ」と受けてどんな会話になるか。「ソレゴソ、外部の人たちにやってもらったら」「ソレゴソ、悪いな白鵬だ」「ソレゴソ、どこの業界も同じ」「ソレゴソ、俺の家よりマシだ」等、どんな応えもありなので、いわば自分優先の会話引き取り常套句と言えそうだ。