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「機制」に気づき、つき合う

2017年12月04日 | 雑記帳
 知り合いのFBに「機制」という使い慣れない言葉があった。というより自分は使ったことはない。「規制」ではない。辞書では広辞苑クラスでないと載っていないようだ。広辞苑には「→機構②に同じ」とある。機構の②とは「機械的に構成されているしくみ。(中略)組織。メカニズム」。これだけではピンとこない。



 他の大判の辞書でも似ていたので、ネット検索をしてみると「デジタル大辞泉の解説」にも「仕組み。機構」とある。これもか……と思いつつ横に目を移すと例語として「心理機制」とあるではないか。そうそう、そのイメージだ。と追検索すると、結局行き着くのは「防衛機制」「適応機制」という心理学用語だった。


 機制とは、「(心理的)機構+規制」と解釈すればいいだろう。かのFBには「『無用の混乱』を避ける機制、『混乱を怖れる』機制」についての記述があった。行政であっても企業であってもまた教育の場にあっても、管理する者は特にそれを知らず知らずのうちに作りあげてしまっていることを自覚しなければならない。


 問題解決に動くとき、機制に気づくか気づかないで次の一手が左右される。独善に陥らないために自分の論理や感情だけでなく、対象者の内的なことに目を移していく。そんなふうに「規制」しながら判断のメカニズムを修整していければいい。機制とのつきあい方をあれこれ悩むことも、柔軟さと呼べる気がする。