すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

寓話も現実も人間が作りだす

2018年03月04日 | 読書


2018読了21
 『カエルの楽園』(百田尚樹  新潮社)


 百田尚樹の小説にはハズレがない。映画化された『永遠のゼロ』『海賊と呼ばれた男』が有名だが、個人的に『モンスター』(幻とされている映像作品がある)が好きだ。その次が『風の中のマリア』というスズメバチの物語で、事前情報無しでそれに近いかなと読み始めたら、なんとなんとこれが「寓話」でありました。


 発行所サイトの作者インタビューを読めば、ある程度の概略は想像がつく。「楽園」とされるナパージュという地の舞台が、日本であることは中学生でも気づくだろう。そしてその国を守っている「三戒」とは…。様々に登場してくる人物が何の象徴かは、高校生程度なら理解できるはずだ。非常にわかりやすい展開だ。


 作者の思想信条は、新書『大放言』やメディアでの発言からわかる。従って明らかに警戒を促す著だ。それを小説という形にし、読者を引き込んでいくのはさすがだなと感じた。「楽園」の進み方に対して、主人公のソクラテスは懐疑的だが、相棒ロベルトは逆にその考え方に共感する。その絡み合いが筋を作っていく。


 作者はラストシーンを「これしかない!」と自賛している。それをどう評価するかで、読者の思想が問われるかもしれない。「楽園」とはある意味「楽観」が作りだす。結局「生き方」と同様、判断は分かれる。唯一、冒頭「強いカエルが弱いカエルを食う」と残した歴史書に対する見方は、思想を越えて通用するはずだ。

 「多分、その歴史書は強いカエルが書いたんだろうよ」

 カエルの話と言えば、小学校教育に携わった者は『お手紙』を挙げる。そこで語られる「親愛」の情を持つのも人間であれば、この寓話が語る「弱肉強食」の現実も人間社会である。寓話には、登場人物の誰に自分が近いかを想像する要素もあるが、パターン思考に陥っては駄目だ。所詮みんな人間が作りだしている。