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ゴーマンでトレーニング

2018年03月29日 | 雑記帳
 「秋田の人はゴーマンだ。」と、今日の講演で講師は繰り返した。通常、秋田県民に対しては「素直」「消極的」「見栄っ張り」等々がよく使われるが、「ゴーマン」はめったに聞かない。もちろん、講演内容から考え、論旨を浸透させるための比喩的やや反語的表現なのかなと思いつつ、どうも「ゴーマン」が気にかかる。



 「ゴーマン」は漢字としては「傲慢」が一般的だ。詳しい辞書だと「剛漫・豪漫」もある。意味は似通っている。広辞苑によると「傲慢」とは「おごり高ぶって人をあなどること。見くだして礼を欠くこと。傲慢無礼という四字熟語もあり、一般庶民の中にはそんなに多くいない。「センセイ」と呼ばれる人には多いか。


 終わった後の男子トイレでは「オレだはゴーマンだがらな」と笑い合う姿も見られたので、聴衆としてさほど重く受け止めてはいないだろう。しかし、講師があれほど「傲慢」と口にするには、何か訳があるのではないか。確かに秋田県民は一見謙虚に見えて、人の言うことに耳を貸さない傾向があるような気がする。


 講師の説によると「人の話を聞かない」のは二つのタイプがあるようだ。「危機だと思わない」と「あきらめている」、つまり鈍感・無関心派と消極・無気力派だ。これらのイメージから「傲慢」な姿と結びつくことはあるだろうが、少数なはずだ。つまり、相手を「見くだす」態度まで身体化できる人は限られている。


 あれほど使った訳は何か。講師は県内のどこかでそういう目に遭った場合が考えられる。いや、そうした秋田県人と複数回接した経験なのかもしれない。全ての市町村を回った経験が講師のウリでもあったので、肌感覚なのかという予想もできる。と、様々な可能性を挙げて、傲慢にならないトレーニングをしてみた。