すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

見極める力と方法

2018年03月28日 | 読書
 マツコ・デラックスは、武田邦彦との対談で「本人の思っていることがあなたにとっての真実なのであって、そうでないことは真実ではない。そう考えればいいんじゃないかしら」と、メディアの見方を語った。最終的に「真実の報道」とは、歴史上も現在であっても検証しようがない。しかし見極めには力が必要だ。



2018読了32
 『おとぎ話に隠された古代史の謎』(関裕二 PHP文庫)


 古代史や神話への興味は、正直あまりない。絵本程度のおとぎ話なら知っているが、それらを歴史と結びつけて考えたことはない。しかしよく考えると伝承されてきた物語は、やはり誰かが何かの意図をもって作りあげられ、読み手に響く点があったので長く継がれてきたはずだ。その観点ではいくつかの知識を得た。


 著者はおとぎ話等が二つのコアに行き着くと記す。それは「トヨ」と「蘇我」。後者は歴史上の「悪役」として有名である。前者は意識したことはないが、豊受大神、豊玉姫、台与と再三古代史に登場する。そこから発し派生していると論を進める。私たちは何故「ヤマト」という言葉に愛着を持つか、考えさせられた。



2018読了33
 『先入観はウソをつく』(武田邦彦 SB新書)


 前著にある「蘇我=悪」という図式は、藤原氏一族によって植え付けられた先入観という見方がある。天皇家の存続に深い関りを持っていたことは否めない。そこまで逆ぼらなくても、明治以降、特に戦後の日本を動かしたのは「日本より欧米型の考えが優れている」という先入観だろう。その光と陰は明確になっている。


 少子高齢化が多くの問題の根にあることは誰しも承知している。その傾向を生んだ真の責任は、上記の先入観をそのまま受け入れる思考法、教育のあり方であったと言ったら言い過ぎだろうか。改善のために著者がいう「「『受け入れ箱』『比較』」を作る」提案は、実効性があるとみた。メディアリテラシーの核にもなる。