すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

旅する床屋が刺激する

2018年03月12日 | 読書
 「腰のベルトに鋏を一丁携えて旅する床屋」…想像しただけでも格好がいい。
 髪を切ることにことさらの意味はないだろうが、そんな人に髪を切られたら、もしかしたら何かが「晴れる」のではないか。



2018読了23
 『空ばかり見ていた』(吉田篤弘  文春文庫)


 「この変則的な――変則的すぎる――連作小説」と、著者自ら記している。ホクトと称する放浪の床屋(もしくはそれに関わるエピソード)は毎篇に登場するが、つながりがはっきりとわかるような形ではない。その意味では読みづらさも感じつつ、それでも文章の肌触りがとてもよく、ぐっと入り込む時間もあった。


 この創作のヒントは、著者が行っていた床屋にあり、それがかの萩原朔太郎との縁があって、そういう系統のファンは興味をそそられるだろう。学生時代に少し齧っただけの朔太郎の詩。言われてみれば、どことなく描く世界が似ている気もする。それはどこか陰のある、少し冷たい風も吹くような空間の広がりだ。


 「リトル・ファンファーレ」という最後の作品に、パントマイムのレッスンのことが少し記される。そこで「先生」が語る「日ごろの習得」には、稽古事の奥義がずばりと表現されていた。「何かになるのではなくて、その何かが自分の中に満ちてくるのを待てばいい」。問われるのは、どのような佇まいで待つのかだ。


 食べ物のことを随所に散りばめるのが、この著者の特徴かもしれない。物語に関わりを持つ「マアト」という菓子。黒くて驚くほど甘いケーキ。デニッシュ、塩味のパン…そして口にちょっと唾を溜めてしまったのは、ねぎま鍋。久しく家で食べていなかったのでリクエストした。髪の毛同様、舌も刺激する話だった。