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「嘘つき」に沢山教えられて

2018年03月23日 | 読書
 浅田次郎の小説は短編を多く読んでいる。時折目にするエッセイも上手で、この文庫は様々な雑誌、冊子等への掲載原稿を集約した一冊だ。改めてその出自を知ると「東京人」「江戸ッ子」らしさが随所に感じられる。江戸ッ子は、事情で東京を去ることを「江戸を売る」と言ったそうである。どこか矜持のある表現だ。

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 『君は嘘つきだから、小説家にでもなればいい』(浅田次郎 文春文庫)




 この作家の特徴(書く内容とは別に)は、規律正しい生活にあると以前から知っていた。「時間割」と呼び、執筆時間の確保はもちろん、読書時間を一日4時間取り続けていることに驚嘆する。「継続という実力」の章では、それが小説家として「神様からもらった資格」の維持に欠かせないと語る。信念とはかくありき。


 「一日一冊」は自ら課したのではなく「そのくらいにしておかなければ」と考えた末の設定という。まさにその読書人中の読書人が「役立たずの最たるもの」として「ノウハウ本」を挙げている。「人生を活字から学ぼうとすること自体横着」という叱責は、心しなければ。想像力の涵養こそが、効率性を乗り越えられる。


 「『嗜み』はよい言葉である」と書き出した章がある。ここで白川静博士の「老いて旨しとするもの」という字義に納得し、「好きなものをよい心がけで味わう」ことと意味づけた。そしてそれは、狭い国土の暮らす日本人に必然的に生まれた「すぐれたモラル」と説明する。なるほどと思う。特に都市部にはそれが顕著か。


 「好きなものを好きなように味わう」ことが「アメリカ流の個人主義」だと知りつつも、消費文化に浸食され、「よい心がけ」の部分は希薄になってしまったのが今のこの国ではないか。「嗜み」が駄目になれば「身嗜み」も下がる。その字義から、オシャレは己のためでなく、他者に不快な思いをさせぬのが本意と知る。