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心を形にする話…その2

2018年03月07日 | 教育ノート


 秋山先生が終盤に紹介された、あるひきこもり事例の改善が興味深かった。三十数歳の息子が引きこもり、やや家庭内やくざ的な状況に…。先生がアドバイスしたのは両親の「呼称」だった。お互いを「おじいさん、おばあさん」と呼ばせることで様々な変化が起こり、その結果対象者の就労まで改善されたという。


 これはどういうことか。「おじいさん、おばあさん」と互いに呼び合わせることで、父母は心身の老化を気遣い合う。そこに他者も入って心配したりする。部屋から出てこない息子だが、その状況には耳をそばだてている。その内に父母を心配する声が出てくる。そうして、そこから改善の兆しを見せて…という経過だ。


 「視座」…今回のキーワード。「こういうところに注意して(視点)」「広い範囲に目配せを(視野)」だけでは、具体的援助がうまくいかない。辞書的に「視点」と共通する意味の「視座」の重要さは、「立場」にある。「相手の立場で」は基本中の基本、繰り返されるそこに事例改善のヒントが隠されているのではないか。


 ひきこもっている息子にも、育てられた感覚がないわけではない。世話されている意識にも必ず裏側がある。そこを刺激したと考えられる。呼称の変化で親自身が老いに気づき互いにいたわり合い、周囲も心配する、そんな姿が息子に今の立ち位置を自覚させた。相手の視座に立ってみて、些細な変化を連ならせる。


 技術には「型」がある。「型」の重視は、時に反発も受けるが、そこを乗り越えた者にしか見えない景色もあろう。武道や芸能の世界でもよく言われることだ。さらに言えば、技術を対象に駆使することが先立つのではなく、一段深い集中レベルが姿を磨く。紹介された18代目勘三郎の「型があるから型破り」に納得した。