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いつも今の話だよ

2018年03月15日 | 雑記帳
 ある会議で発言したら、主催者に「そこまで言いますか」と笑われた。子どもたちが外で遊ばなくなった、自然体験が少なくなった…というある面では定番の話題に、管理された日常、常に「責任」が問われる状況といったこれも定番の理由づけがされたので、つい口にしたのは「戦争でアメリカに負けたからだね



 まったくいつの話をしているんだと自嘲しながら、結局、モノだけが豊かにあふれ、心が置き去りにされていることは誰しも理解しながらもそこから一歩も進めずにいる。先日ある知り合いから聞いた、身内の離職話も結局、個人の責任もあるけれど、歪んだ政治体制、社会態勢が根本にあることは確かなはずだし…。



 「どこかで選択を間違えた」という常套句もある。日米戦争まで遡らずとも、安保法制や選挙制度など国の針路に影響を与えただろう箇所も思い浮かぶ。しかし、決定的な曲がり角がどこかという検討も無意味ではないが、後戻りできない今、肝心なのは相互の信頼度を強めること、次に来る選択を見誤らないことだ。


 連日、森友問題の文書書換について報道される。「民主主義に対する挑戦」と口にしたジャーナリストもいた。想うに「これを書き換えて民主主義を倒してやる」と力んだ人は一人もいないだろう。何故そうなったのか、それを振り返られない構造、恣意的な解釈の横行こそ、人の心に巣食う敵だと気づかねばならない。


 昔のドラマのように、不正があって自殺者が出たりして、犯人捜しのような展開が、トップエリート省庁を舞台にしているかと思うと、少し情けない。結局ありがちな、組織堅持の名を着た自己保身か。わかるのは、おそらく「戦時」だとしても使い物にならない人たちが上に居座る国。いったいいつとは、今の話だ。