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(20180218 久しぶりの青さが嬉しい)
Volume97
「むかしは、舞台裏というものは見せませんでした、見せないのがふつうでしたが、この頃のテレビでは、見えないところを見せる、つまり覗かせる。見る方も覗き趣味を満足させる。」
文句なくフィギュアスケートの金・銀メダル獲得は凄かった。
そして同時に、その後の報道の多さにもタマゲテしまう。
快挙と呼んでいいことだから、放送局がこぞって報道するのは仕方ないが、どうにも食傷気味になるので、別のことも思い浮かぶ。
肝心なのは「舞台の上」。
スポーツ選手も一種の表現者とみれば、そこでのパフォーマンスこそが求められるわけで、「観客」もまたそこに注目すればいい。
実際に生で観られる人は、これ以上ない感動の空間を共にできるし、テレビでもLIVEであれば独特の緊張感を持って、その舞台に目を向けられる。
もちろん、そこに到るまでの苦労や努力、生い立ち、背景、そして関わった人たちの支え、援助…それらは必須で、重要で、興味深いものだ。
しかしあまりに過剰に、微細に、それらを描き出す、見えなくていい事まで引っぱりだすのはいかがなものか…と、自分自身にもある覗き趣味を反省しながら考えてしまった。
覗き趣味で満足しているようでは、誰しも持つべき自分の「舞台裏」や「楽屋」に集中することはできないのではないかな。
引用したことばは、画家安野光雅が対談本で語ったこと。