すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自分の舞台裏に集中せよ

2018年02月18日 | 読書

(20180218 久しぶりの青さが嬉しい)

Volume97
 「むかしは、舞台裏というものは見せませんでした、見せないのがふつうでしたが、この頃のテレビでは、見えないところを見せる、つまり覗かせる。見る方も覗き趣味を満足させる。」

 文句なくフィギュアスケートの金・銀メダル獲得は凄かった。

 そして同時に、その後の報道の多さにもタマゲテしまう。

 快挙と呼んでいいことだから、放送局がこぞって報道するのは仕方ないが、どうにも食傷気味になるので、別のことも思い浮かぶ。


 肝心なのは「舞台の上」。

 スポーツ選手も一種の表現者とみれば、そこでのパフォーマンスこそが求められるわけで、「観客」もまたそこに注目すればいい。
 実際に生で観られる人は、これ以上ない感動の空間を共にできるし、テレビでもLIVEであれば独特の緊張感を持って、その舞台に目を向けられる。

 もちろん、そこに到るまでの苦労や努力、生い立ち、背景、そして関わった人たちの支え、援助…それらは必須で、重要で、興味深いものだ。
 しかしあまりに過剰に、微細に、それらを描き出す、見えなくていい事まで引っぱりだすのはいかがなものか…と、自分自身にもある覗き趣味を反省しながら考えてしまった。

 覗き趣味で満足しているようでは、誰しも持つべき自分の「舞台裏」や「楽屋」に集中することはできないのではないかな。

 引用したことばは、画家安野光雅が対談本で語ったこと。

求められるのはタフさ

2018年02月17日 | 読書


2018読了14~「村上さんのところ」へ五日間④
 『村上さんのところ』(村上春樹 新潮社)


 かつて飲食店を経営し、物書き以外の音楽、猫、ランニング等々の多彩な趣味嗜好を持つ。また当然ながら海外文学や映画などにも造詣が深い。毎年「ノーベル文学賞候補」になり(「正式な候補」はないと著者は記すが)迷惑そうだ。お気に入りの作家にカズオ・イシグロの名を挙げていたのは、さすが?と思った。


 知ってはいたが、本当に音楽の幅は広くその話題もずいぶんあった。ジャズ、クラッシック、ロック…かなり意識的に聴き込んでいる。単なる趣味と呼べない範疇にあるのだ。「新しい音楽を聴くことが億劫になってきて」という質問に対して、次のようにさらっと応えられる高齢者(笑)は、そんなにいないのではないか。

Quote 034
 積極的に常に新しい音楽を聞き続けるという努力(かなりの努力です)をしていかないと、耳は確実に衰えます。


 「村上さん」独特の性的表現に関しては読者の立場によって、様々な反応があるものだ。不倫をしていて…という内容が目立つことも特徴か。そういう傾向に不安を持つ若いファンもいたりして面白い。女子高生にダイエットのことを訊かれ、「体重を減らす三つの方法」はこれしかないと応えたのはチャーミングだ。

Quote 048
 ①食べ物を減らす(適正な量にする)
 ②日々適度な運動をする 
 ③恋をする
 最後のやつはけっこうききますよ。


 宗教、カルト、原発(「核発」という語を使用)のことなど重い話題で締めつつも、ややオヤジギャグっぽい表現があったり、深刻な相談に対してもふわっとスルーしていく回もあったりして、退屈しなかった。編集後記で「村上さん」の「一に足腰、二に文体」という言葉を知った。一番求められるのは「タフさ」である。


あなた自身に与える教育

2018年02月16日 | 読書

(20180204 「佐藤信淵」幟はためいて)

2018読了14~「村上さんのところ」へ五日間③
 『村上さんのところ』(村上春樹 新潮社)


 学生(小から大)や教員からの投稿が結構あった。「学校」「教育」をダイレクトに訊く内容もある。この作家は、その類に関してあまり積極的に意見を述べない印象があるし、実際に分量は少ない。しかし世界中で読まれている日本人作家が、少しそっけなく教育について語っている文章は興味深い。

Quote 078
 道徳というのはまわりの大人が率先して見せるものであって教えるものではないような気がします。いくら教えても、大人がそれを実行していないようでは、子供は納得しませんよね。

Quote 337
 学校を拒否するのは敗北ではありません。ただの宣言です。その力を良い方向に向けなくては。

Quote 458
 高校3年間を過ごすにあたって、ひとつだけやるべきこと?自らを健全に懐疑することではないでしょうか。


 これらに加え、国語の授業が苦痛な12歳の小学生には「適当にやり過ごして」と語り、子どもを読書好きにさせたいと願う教師には「本当に本好きなのは1割」と言い切っている。「村上さん」の幅の広さは相当なことが窺える。結局、今この国が陥っている、人工培養的、即効主義的な現場に対するアンチテーゼだ。


 具体的な表現はないが、自己省察という観点が強いと思った。実際に教育課程でも重視されているはずし、授業にそういう場もあるが、教える側の「本気度」がどれほどかが決定的であろう。「悩める教員2年目」の読者に対して「どこから切り取られてもいいような先生になってください」と願う深意を噛み締めたい。

Quote 338
 教育というのは、あなたが子供たちに与えるだけではなく、あなたがあなた自身に与えるものでもあります。責任は大きいですよ。

規則正しさが救う

2018年02月15日 | 読書

(2018020214 ベアレン今年は2種のチョコビール)

2018読了14~「村上さんのところ」へ五日間②
『村上さんのところ』(村上春樹 新潮社)



 「相談・質問・おしゃべり」を寄せた年代は様々、小学生から83歳の老女までだ。また日本人は多いが多国籍。そして内容は、作品や発言に関する質問から自分の身の上相談まで、多種多様。共通点は初心者からディープな方まで村上春樹ファンであることのみだ。総じてみると「生き方相談」の率が高い気がした。


 一面的とはいえコミュニケーションをとりたくてメールを寄せた投稿者のなか、返信をもらった1割のラッキーな方々は、返信の中味より生声(文)が聞きたい感じがありありとうかがえた。この本では目立たないが、返信の結びには「うまくいくといいね」が多いという投稿もあった。さすが「生き方指南」は面白い。

Quote 098
 僕は基本的に、人生とはただの容れ物だと思っています。(略)大事なのは容れ物じゃなくて中身です。

Quote 107
 身銭を切るって大事ですよね。他人のお金を使っていては、何も身につきません。本当に大事なことは多くの場合、痛みと引き替えにしか手に入りません。

Quote 166
 本当にやりたいことというのは、あなたがそれを見つけるよりは、向こうがあなたを見つけることの方が、可能性としては高いのではないかな


 引用した文章からは、積極性、直接性、多様性というキーワードも浮かび上がる。当然重要なことである。日々変化し、同時に変化を求めることも生きるうえでの活力につながる。しかしまた望んでいない出来事や境遇に陥ることも常であり、それらを包括して日常がある。そのために身体化したい一節が次のことだ。

Quote 224
 規則正しく生活し、規則正しく仕事をしていると、たいていのものごとはやり過ごすことができます。(略)規則正しさがすべてをうまく平準化していってくれます。

「村上さんのところ」へ五日間

2018年02月14日 | 読書

(20180214 朝焼けがつくりだす)

2018読了14
 『村上さんのところ』(村上春樹 新潮社)


 ハルキストでも村上主義者でもない。しかしこの企画は気になっていた。まえがきに「何年かに一度、読者のみなさんとメールのやりとり」と書かれてあり、作家としての姿勢の一つだろうと感じた。専用サイトの存在を知ったのは今回(と言っても3年前)が初めてだ。読み続けた五日間。なんだか居心地が良かった。


 17日間で約3万7千のメールが寄せられその1割に返信を書き、それらは全て電子ブックで収められ、本書には473通が取り上げられた。雑誌連載にありがちな人生相談とは当然異なる、ファンとの会話的な雰囲気を出しつつ、作品に込められた思いや日常の暮らし方から価値観、世界観が垣間見えて、刺激を受けた。


 心に沁みてくるような言葉がたくさんあった。いくつか区分した形で書き留めておこうと思う。一つ目は小説のこと。この作家のファンでない自分が、語られた意味について今考えられることは少ないが、きっと何かの折に重なり合う機会がくる気がしている。そういう瞬間に巡り合える未来が本当に楽しみになる。


Quote 060
 小説には意味なんてそんなにありません。というか、意味という座標軸でとらえることができないからこそ、小説が有効に機能するのです。

Quote 367
 努力すれば地下に降りていって、「神話性」と「物語性」がひとつに溶け合っている世界に足を踏み入れることができます。そしてその世界の有り様を小説というかたちに転換していくことができます。小説家といわれる人はそのようにして「真実を伝えるために必要な嘘」をリアルに立ち上げていくことができるのです。


Quote 284
 「属し方」が大事なのです。その属し方を納得するために、物語が必要になってきます。物語は僕らがどのようにしてそのようなものに属しているか、なぜ属さなくてはいけないかということを意識下でありありと疑似体験させます。



 「村上さん」は小説の優れた点を「『嘘を検証する能力』が身についてくること」とも書いている。それは「底の浅い嘘」を見抜き、「実のある嘘」を見分けることだ。それは「目に見える真実以上の真実」でもある。しかし、いわゆる「生産性」とは結びつかない。この「あってもなくてもいいもの」の必要度が人間性か。

ミタビ、厳冬食温麺

2018年02月13日 | 雑記帳
 まさに雪と格闘する如月、映画「八甲田山」が思い浮かびます。 
 さて、寒波対抗のためにはあったかいものを…1月下旬にもそんなことでつらつら書きましたが、麺食い野郎またの登場となりました。
 気を紛らして、心だけでも温かくなりましょう(ってなるわけないか)


 「野菜天ぷらうどん」
 ビタミンもとれるし、これがシンプルで一番身体にいい気がします。



 「すき焼き味の焼うどん」
 市販のもので、特製甘口だれで仕上げます。スタミナづけのため目玉焼きを…



 「なめこ温そば」
 つるっつるっと。いいですね。七味をたっぷり入れてさらに温かく…


 で、あれっ、ラーメンは…
 まあ、宅ラーはさておき、お店へということで
 
 話題のあのあぐりこの店はまだまだ混みそうなので、ここは久しぶりに


 「大盛り」
 この表面を見れば、どこかは言うまでもないでしょう。
 でも、見るほどに…身体にはいいのかな?
 
 と少し寒い結びになりました。

こんな雪の日に聴いては…

2018年02月12日 | 雑記帳

(20180212 AM9:45)

 いやあ降りました。そして降り続けています。
 こんな朝にふと思いついたのは、担任していた頃に自分でも伴奏できそうなのでよく歌わせた(もう教科書には載っていない)『雪のおどり』という曲でした。
 https://www.youtube.com/watch?v=uiOmvD_dBRI

 ♪こんこん こんこん 降れ振れ 雪♪で始まるチェコ民謡です。
 この曲は輪唱にしたりして子どもたちは気持ちよくのって歌ってくれましたが、大人の内心はオイオイでもありました。
 ある所ではこの曲が音楽室から流れると、校務員さんが悲しがるので止めたという話もありました。意味はわかりますね。
 当時は除雪機などなく、大変な作業でしたからね。

 ちなみに『雪のおどり』も振付があるとこんな楽しくなりますよ、というバージョンもありました。
 https://www.youtube.com/watch?v=KsDoUKrb5YE
いかがです。少し和みましたか?


 いやいいのだ。これが雪国の宿命と思う人は、このままその感情に浸りましょう。

 そんな時は、小谷美紗子の『嘆きの雪』はどうでしょうか。
 https://www.youtube.com/watch?v=3kX5yslkIeE
 シチュエーションは違うでしょうが、黙々と雪押しする姿が絵になるような気がします。


 何度か書いている気もしますが、通勤していて吹雪に遇ったりすると、よくこの曲を聴きたくなりました。
 特に「雪」と深い関りがないのですが、自分のなかでその道を乗りきっていくぞとでも思ったのでしょうか。
 『祝福 BLESSING』BY平原綾香
 https://www.youtube.com/watch?v=q7UwBucgYcE
 ぜひ一度、吹雪の車の中で聞いてほしい一曲です。


 やめてくれ~。俺はひきこもる~と決めた人は、本当に関係ないですが、先週テレビで見たマツモトクラブのコントを見て、笑ってください。
 秀逸でした。
 『お笑い演芸館』~「長渕剛風の息子」
 https://www.youtube.com/watch?v=5AqKH09Sxvc
 美味しいものがあれば、乗りきれます。

自裁した人は問いかける

2018年02月11日 | 雑記帳


 秋田県の自殺率が全国一高く、行政もそれに対し真摯に向き合っていることを承知している。目標数値を挙げざるを得ない事情は理解できるが、正直少し割り切れなさは残る。先月「自裁」した保守派の論客西部邁について、佐伯啓思がその意味を問うた「いかに最期を迎えるか 自分なりの『死の哲学』はが重い。


 本県は高齢者の率が際立っている。様々な分析がされる。言い方は変だが、結局佐伯の文章にある「老→病→死」に到る条件が揃っているからだろう。防止は物理的・精神的環境を整えるしかない。しかしそれでも自殺の決断の訳は、個々にしか分かり得ない。生きる者が理由を詳らかにしても、その人はもういない。


 先日読んだ『俺に似たひと』のなかの一節である。「人間以外のあらゆる生きものは、自分が死ぬ存在であることなど、はなから考慮しない存在なのだ。人間だけが『死を思う』ことができる。だから人間だけが死者を弔うことができるのだ」。そして現状では、自分の死はなかなか自由にはならないと誰もが思っている。


 書き出すきっかけは「自裁」という言葉。不勉強で知らなかった。しかし思い浮かべると自殺を意味する熟語は結構あるものだ。「自死」「自害」「自決」「自尽」、少し調べると「自刃」「自刎」などという語もある。「裁」や「決」という字を使うのは歴史的背景を抱えることだが、いずれ判断は自らに委ねられる意味だ。


 もちろん自殺礼賛ではない。また自分なりの「死生観」も確固たるものはない。ただ人間界で「生命尊重」がその価値を持つのは、「自由追求」の保障が存在するからだ。そうであれば「裁ちかた」を自ら選択する余地が残ることと矛盾しない。高齢化社会が進むなか、タブー視されるこの問いに目を逸らしてはいけない。

五輪の日向が暖かった頃

2018年02月10日 | 雑記帳


 NHKが時期に合わせ「SONGS」(2/8)で「冬の熱戦を盛り上げた歌」をテーマに放送した。Over58ぐらいの話題だが、なんといっても懐かしいのは1972年の札幌五輪。開会式の映像も流された。昨夜の平昌のフレンドリー&スマイリーな(オチャラケタとも)入場行進と比べれば、実に凛々しく引き締まっていた。


 札幌五輪での日本のメダル獲得は金銀銅が各1。スキージャンプのノーマルヒル(当時は70メートル級)で三人が表彰台に立っただけだった。それゆえ90メートル級に期待した気持ちが湧き、その結果に萎んだことも記憶に留めている。良くも悪くも日本人の身の丈?について考えた。なんせ「日の丸飛行隊」だしね。


 中学生だったので、いや若者でなくとも男子全般が、目を見張ったのはあのアイドル「ジャネット・リン」だ。フィギュアスケートという競技は知っていたが、強く意識したのはやはりそこからだ。尻餅をついて銅メダル、そしてその後はCMにも出たはず。「札幌の恋人」という言い方もされていた。さて平昌では…。


 SONGSで流れた曲で、長野五輪が「SHOOTING STAR」(F-BLOOD)だったのは覚えていなかったなあ。どこの放送局もこぞって始めたからだろうか。こうなると、何のためにテーマソングを作るかが見え見えなので、かえって残らない。いや選ばれた曲はどれもなかなかセンスがいいぞ。「サザンカ」も個性的だ。


 それにしても「虹と雪のバラード」の前向きさが眩しい。当時の日本、五輪の持つ日向がよく象徴されている。「きみの名を呼ぶ オリンピックと」…しかしその姿には少しずつ陰が差してきた。巧みな政治的、経済的要素に覆われた画面が多い。ともあれアスリートたちの頑張りで、少しでも日向が拡がることを願う。




言われてみれば、ソウダナ

2018年02月09日 | 読書

(20180209 雪の一本道)

Volume94
 「蛙が飛びこむ時、音はしないんですね。ただ、すーっと水の中へ入っていくだけですよ。」

 松尾芭蕉に関する著書を何冊も出している嵐山光三郎が、俳人でもある女優の富士真奈美との対談で語った言葉。

 60年もの間、芭蕉を追い続けた嵐山が、昔、芭蕉庵があつた近くの庭園で丸一日「飛びこむ音」を聞いてやろうとねばった末の結論である。

 言われてみれば、ソウダナと思う。

 だからこそ、その音を想像(創造)した俳聖はえらいのか。


Volume95
 「野生の動物たちは、一点集中を避け、むしろ、意識を周囲に分散させながら外敵に集中する『分散力』を必要とします。」

 売れっ子脳科学者池谷裕二が書いている。
 テレビなどで野生動物の狩りのシーンなどみると、集中力のイメージしか伝わってこない気もするが、実のところ自分も喰われないように注意力を分散しているはずだ。

 言われてみれば、ソウダナと思う。

 池谷は「非集中力」という言葉も使う。その能力に長けた動物たちが生き残っているのだという。人間社会ではどうか。
 集中力だけの人が危うさを抱えていることは確かだろう。


Volume96
 「人が進んでどこかへ通うときは、通う理由がふたつ以上あるということ。ひとつでは、自ら通ったりしない。」

 先日読んだ『なにごともなく、晴天』(平川克美)の中の一節。

 言われてみれば、ソウダナと思う。

 それが仕事であっても、趣味であっても、きっと一つの理由で「通う」ことはできないと、あれこれ浮かべてみた。
 その理由をつき詰めてみることが、とても大事かもしれない。