日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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シニアが企画・案内とまち歩き その1

2019年09月28日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

第55回「新中川ルーツをたどる、高砂・細田界隈の
散策と名刹・寺社巡り

 

 

この会の歴史は、創立以来15年

参加者は延べにして、およそ2000人とのことでした。

 

 

   

                 参加者の当選を知らせるハガキ          案内コウース 

     


高砂駅北口
 スタッフの桃色のユニホーム役員と参加者が集まり始めました。 高砂駅、13,40分集合。


スタッフのユニホーム


班編成の目印の旗。(葛飾の町歩きを創る会)の旗


配布されたパンフレット、表紙。

 


A4の半分折りのパンフレット

 
パンフを見入る参加者

 

時間にゆとり、そして住居界隈でしたから参加いたしました。

葛飾にこのような会があるとは、全く知りませんでした。

案内コースは無駄のない距離、例えば大きな通りが三角形であればその底辺の細い道を歩く、

最短距離を実査・研究されたのでしょう。

◎ 細田神社に向かうコース、むかしの”東用水掘り”の安全地帯を通行、
◎ 奥戸野球場(トイレ休憩)から直下に下に降りて近道を歩むコースなど
は、見事に研究尽くされた案内コースと感心しました。

お世話に成りました、楽しい1日有難うございました。

 


          役員の事前の準備

*事前の下見は欠かせず、コース設定から休憩場所やトイレの確認、社寺など
  訪問先へのあいさつなど「当日までに80%は終わっている。それだけ事前の
準備が大変ということです」と語る。
                           (東都よみうり・葛飾のまち歩きを創る会から引用した)

 

 

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桜の古木・神奈川県座間市

2019年08月03日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

 昭和28年の植栽

 

フジの会・街歩きで座間市内を歩いていた。

街路樹であまり見たことないような古木の桜並木。

並木の終点に記念碑が建てられていた。植栽されてから66年余、大木に驚いた。 
 

  

さくら並木に歴史あり

 

昭和28年当時の時代背景
       ① NHKでTV本放送開始される。
       ② 吉田首相が衆院でバカヤロウ発言、翌月解散。      
         ③ スターリンノ死     
       ④ 大相撲テレビ中継開始     
             ⑤ 伊藤絹子ミスユニバース3位(8頭身美人)      
                 ⑥ テレビ初のプロ野球中継、 民間テレビ放送開局    
                 ⑦ NHK紅白歌合戦初めて公開放送、
                   ⑧ さいザンス、家庭の事情、マンボ


TVの本放送が始まり、「高度経済成長期」


 日本経済が飛躍的に成長を遂げた時期は、1954年(昭和29年)12月(日本民主党の第1次鳩山一郎内閣)から1973年(昭和48年)11月(自民党第2次田中角栄内閣) までの約19年間である。

 

我が人生と重ね合わせ…。

 昭和28年と言えば、私の遍歴にに置き換えれば少年時代、腕白時代の中学生。川へ行って泳いだり、川をせき止めて魚を取ったり夏休みは毎日通った。山へ出掛けて木登りをし、梨やアケビを採り山芋など掘った。
 桜の古木と見比べながら、わが人生の思いに浸かり一息入れた。吾も年老いあちこちの関節が痛い、湿布薬を張ったり、頭は真っ白(白髪)です。昨日も整形外科病院に行ってきた。
 「桜花」記念碑の横に、太い枯れ枝が折り曲がるようにドッカと落下していた。

         
           並木道 桜を守り 花咲かす (縄)

 


  
さくら並木を歩くフジの会の皆さん。

これらの巨木を見ますと昭和28年植栽、昭和・平成をまっしぐら、

わが人生とを重ね合わせれば感慨深いものがあります。


思うに、28年当時の出来事を振り返れば、当時そして我が人生の駆け抜けて

きた遍歴が脳裏に浮かび上がる。

 

 

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芹沢公園

2019年07月27日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

神奈川県・座間市
 森林・水源豊かな・自然を生かした

 

座間市唯一の総合公園として、整備が進められていた芹沢公園が3月30日、全面開園した。

1985年に建設計画が立てられてから32年の歳月を経て完成。

芹沢公園(栗原2593の1/総面積約15・8ヘクタール)は、85年に決定した。

森林や水源豊かな芹沢の自然を生かし、

湿性植物園や遊具コーナーを設けた公園建設が進められてきた。

全体をくまなく歩いたわけではありませんが、

都内の公園と比して、今までに見てきた公園とは志向やスケールの規模が違うと思いました。

 

 

芹沢公園を回りて感じたこと。

自然が織りなす樹林をふんだんに残し、その中を人間が彷徨う

ある場所に行くと自然とは大胆に切り離し子供の遊び場を作る。

面積が広いからこそできる自然と人間の共生。

 

 

 

 

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ヤブミョウガ

2019年07月25日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

神奈川県・座間市・芹沢公園にて

 

あちこちに水をたたえる芹沢公園。

美味しい水の水源地として「座間8景」の名所。

爽やかな木陰が広がる鬱蒼とした樹林地、広大な面積。

ヤブミョウガとは
 5月頃から発芽し、夏にかけて草丈 50cm〜 1m 前後に生長、ミョウガに似た長楕円形の葉を互生させ、葉の根元は茎を巻く葉鞘を形成する。葉は茎の先端部分だけに集中する。なお本種の葉は表面がざらつくところ、葉が2列に出ないことなどでミョウガと区別できる
 

 


 人間が小さく見えるほどの大木が天を突く。
この奥の林の縁に、見事な自生群落を形成していた。


昼なお暗き森の中…

 


ヤブ茗荷の群生


ちょうど花の最盛期でした。


  白い輪上の花

ヤア

藪みょがやあぶみょいうがb

 

 

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

 

 茗 荷



我が家の庭の茗荷も最盛期、きっと芹沢公園の藪茗荷の根元にも茗荷が
顔を出していることでしょう。

 


  採り、キザミ・味噌で和える・旨い。
キュウリ・ナスの即席漬けの中に入れると、香りがとてもよい。goodです。

 

 

 

 

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フジノ会 雨天中止

2019年07月07日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

 横浜市・金沢区、金沢の森を歩く(7日)


横浜方面天気予報(7日)


  朝起きると、シトシトと小雨が降っていた。
  雨天中止のパンフ、残念



 

金沢の森を歩くとは… 

  六国峠ハイキングコースの中でも、金沢文庫駅から金沢自然公園までのコースは、江戸時代の観光地の周遊路としてにぎわった。
金澤の景勝を実感でき自然景観、歴史的背景を訪ねる旅で見どころいっぱいのコース。

 

 金澤八景とは

  • 小泉夜雨(こずみ の やう) - 手子神社(小泉弁財天)  (以下同じ)↡
  • 称名晩鐘(しょうみょう の ばんしょう) - 称名寺
  • 乙艫帰帆(おっとも の きはん) - 海の公園より内陸の寺前地区の旧海岸線
  • 洲崎晴嵐(すさき の せいらん) - 洲崎神社
  • 瀬戸秋月(せと の しゅうげつ) - 瀬戸神社
  • 平潟落雁(ひらがた の らくがん) - 平潟湾
  • 野島夕照(のじま の せきしょう) - 野島夕照橋付近
  • 内川暮雪(うちかわ の ぼせつ) - 内川入江(能見堂の解釈)または瀬ヶ崎から九覧亭にかけての平潟湾(金龍院の解釈)

                     
                    小泉夜雨の景 広重画                            

                                    

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。


       次回予定
       7/21(日)、「座間の向日葵畑を訪ね夏満喫散歩」が行われる。

     是非、晴れにしたいものです。
     
      この地は、若かりし頃、建売住宅を探すためにあちこちを探索した。
     どんな向日葵畑が、出現するやら楽しみにしましょう。  

 

 

 

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自転車乗りの第1歩は!?

2019年06月17日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ


神宮外苑周回道路

幼児自転車で乗り方を教えてくれる

 

大人になった今では、毎日なんなく乗りこなしている自転車。

・・・だが、幼い頃は何度も何度も転びながら、怒られながら、
めげながら……練習した記憶がある。

その昔は、子供用の自転車などあるはずがありません。 現代は一人に一台ですが、
その当時は一家に一台でした。

 親の乗らない合間を盗んで、大人の自転車に挑戦、自転車フレームの
三角形の穴の中に足を突っ込んで練習した。

これが三角乗り(三角ベッチョ)と言う練習方法でした。


なんだかお子さんたちの練習風景を見て、至れり尽くせり理に適った
練習方法方改めて感じた。

 

乗り方教室

コーンで仕切られた特設コースにスタンバイしたら、
まず指導員自ら子ども用自転車にまたがり、実際の乗り方をレクチャーする。

話を伺ったところ、実際に目の前で乗ってみせることで子どもたちの
理解が深まるのだという。

最初はペダルを外した自転車にまたがり、地面を蹴りながらコースを進んでいく練習。
ここでバランス感覚、ハンドル操作、ブレーキの使い方を覚える。

指導員の方に伺ったらこんな回答が返って来ました。


成程、学校の勉強の学習方法にもにもルールがあるのと同じで自転車乗り方にも
それなりにルールがあものだと、つくづく思い知らされた。

皆さんが自転車に乗れたのは、親の手助け、兄弟、誰にも教えてもらえず
唯我独尊であった縄文人でした。

 


 並んで順番待ちです。ヘルメット着用。


 スタンドの立て方の教授


保護者の方は道路の縁石線に腰卸し、わが子の乗り方成長を見つめる。

 


ポールを中心に周回する
1番前の女の子ををご覧ください。丸の中にペタルがありません。
運転感覚をまず養うのだそうです。



 見上げれば、急ピッチで国立競技場の工事が進んでいた。
この子らの中にオリンピック選手に巣立つ子もいるかもしれません。
見ていて、たちまち上手になる子供達でした。

 

 

アットいう間に定員が埋まる人気ぶりだと言う

日曜と祝日は神宮外苑の外周道路がサイクリングコースとして開放されており、「自転車乗り方教室」はその一角で実施される。

実施時間は午前の部が9時30分~12時、午後の部が13時~15時30分となっており、それぞれの部の受付が8時30分から行われている。

縄文人のぶっつけ本番の練習から、
このように子供の自転車で「自転車乗り方伝授方法」を見て時代は刻々と変わっている
良き時代だなぁ~と思いました。

 

 

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この風景を見まして「私の、俺の、昔の自転車練習状況を」ご披露願えれば・・・。
古と言う時代を感じることでしょう。

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神宮外苑のナンジャモンジャ

2019年06月13日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

有るとは聞いていたが、3代目小木でした。

残念!花は咲き終えていた

 

何回となく絵画館前にを通りかかったことがありますが、

ナンジャモンジャの前に向かって、これぞと見たのは初めてです。

通りかかっても忘れていて意思が働かなかったり、カメラを持っていなかったりして

記録に残す事は出来なかった。

花の咲くのは5月上旬とか、今度はその時に是非お目に掛かりたい。

場所は絵画館に向かって右端の園地です。

 


どうも小木と思いましたら3代目、平成28年に植栽されたものです。

 ほんのの小木です。



クリック拡大
ナンジャモンジャの花


  •  

何故『ナンジャモンジャ』と呼ぶのか?

①見慣れない物だからナンジャモンジャという愛称を名付けた

昔の人が、見慣れない立派な植物だからナンジャモンジャと名付けたという説が出て来ました。

    親しみを込めてこのように愛称をつけてよんだようです。

 

このことから、ナンジャモンジャは植物の名前ではない事が分かります。

あくまで『愛称』。このことから、日本の別の地域では『クスノキ』『ニレ』『ボダイジュ』『イヌザクラ』『タブノキ』などもナンジャモンジャと呼ばれているそうです。

 

だから本当にこの木の名前を呼ぶ時は、『ヒトツバタゴ』と呼ばないといけないんですね。

②神事等で使われていた為、名前を呼ぶのが憚られたため

    もともと、この木を神事等に使っていたため、名前を直接呼ぶ事が出来なかった。

そのため、愛称の『ナンジャモンジャ』が広まった説です。

 

①の様に、他の植物が同じ様に呼ばれる理由にも共通しているかもしれませんね。

③『何の木だ?』と呼ばれているうちにこの名前になった

明治神宮外苑にあった木の事を質問しているうちに、『何の木だ?』から『なんじゃもんじゃ』に    なったという説。

 

    先ほど、NHKスペシャルで『明治神宮 不思議の森 〜100年の大実験』という素晴らしい番組をやっていて、食い入る様に見てしまいましたが、とてもタイムリーな説ですね。明治神宮が造営されたのが100年前だそうですから、名前になっていてもおかしくないかもしれません

 (柴垣グリーンテックから出典)

 

 

 

 

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昼食を神宮外苑森の中で

2019年06月11日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

枇杷の差し入れ美味しかった!

明治神宮球場内では、野球・早稲田対慶応戦が


6月2日

 明治神宮外苑、野球場、建設中の国立競技場、絵画館前周辺を散策しました。

  


男性軍の食事風景



Iさんからの枇杷の差し入れ。自宅で取れたものだと頂いた。ウマカ~


古い電柱に腰掛けて昼食。


  美女軍団は樹木に寄りかかりながら昼食。


ひこばえと言うか枝が元気、落葉がことのほか綺麗でした。

 


 昼食後、明治神宮球場前を元気に線高や駅に向かうフジの会。
球場では早慶戦が行われていた。

 

 




自宅に帰り来てTVチャンネルをひねると≪早慶戦真っ最中≫でした。

以下はTVの映像をUP致しました。

 

 

 

 

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原宿発祥の碑

2019年06月10日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

「原宿発祥の地」と妙円寺


 

  原宿というと、ファッションを中心とした若者の街、なにか現代的な街をイメージします

が、その発祥の地がお寺にあるということで、訪ねてみることに・・・。

尋ねると言うより、訪ねた寺にたまたま「原宿発祥の地」の碑を見つけたと言う次第です。

 


  熊佐々の垣根です、幼な竹が一杯芽を出していた。寺の周囲の垣根。

▲さまざまなショップが並ぶ通りを抜けて閑静な住宅街に入ると、妙円寺という日蓮宗のお寺があります(東京都渋谷区神宮前3丁目8−9

▲山門を入ってすぐ右手に「原宿発祥之地」と刻まれた石碑があります。

  かつて、原宿駅から青山通りまでの一帯に原宿町がありました。ところが昭和40年(1965)の地番改正により原宿という町名がなくなってしまいました。それを惜しんで何か名前を残すものをということでこの石碑を建造することになり、その場所はもと原宿町のどこかということで妙円寺が選ばれたとのこと。
つまり、妙円寺自体になにか「原宿」の起原となるものがあったわけではないようです。

▲この石碑が建造されたのは、昭和62年(1987)5月になります。

そもそも「原宿」という地名の由来は、『新編武蔵風土記稿』の「原宿村」の項などによりますと、鎌倉から奥州へとつながる鎌倉街道があり宿駅が設置されたため。そうした道すじにあたることから、奥州征伐のさいに源義家や源頼朝がこのあたりを通ったという伝説も。

▲ところで、石碑の左手に何やら手を合わせた仏像があるのが目に留まりました。


  ドッコイショ…と腰を下ろしてせいぜい10分から15分がよろしいようで。

  

▲かつて、このあたりに穏原小学校がありました。

  明治14年(1881)に隠田村と原宿村の連合小学校として両村の名前から1字ずつとり開校。最初の生徒数はわずか24名、その後生徒数が増えて校舎の新築、移転などもありましたが、昭和20年(1945)5月の空襲によって校舎が焼失してしまい、残念なことに翌昭和21年(1946)3月に65年の歴史に幕を下ろすことになりました。しかしながら、その建学精神は卒業生たちに受け継がれているようです。


▲ チョイと奥まった場所に釣瓶井戸が有りました。周りは覆って工事中でした。

 

【参考文献】 『渋谷区の歴史』(東京ふる里文庫11、名著出版、1978)
       『渋谷区史跡散歩』(東京史跡ガイド、学生社、1992)
       渋谷新聞から出典 

 

 

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モダン & レトロ

2019年06月09日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

 突然現れたレトロな建物(飲食店)

キャット通り(裏原宿)で、振り返りながら眺めた!!

 

 

都内にアライグマ、イノシシ出現!!

そんなニュースを時々TVで見かけることがあります。

警官出動、包囲網???

それとは類が異なりますが、柴又村の凡人が、キョロキョロしながら辺りを

伺いながら歩いていると、突然の1軒のみ古い木造建築です。

渋谷川の川の流れを見ていた時代にピッタリの古風な家。

周囲にはモダンナなファッション、ブデックなどの立ち並ぶ通りに木陰を配した

レトロ調な昭和初期の古い建物、二度振り返った。

新・旧が並と面白い。

銀座通りに突然、チョンマゲ姿の武士道人の出現と言った格好か。


表現があまりにもオーバー過ぎたか。

 

  






レトロな建物
フジノ会の皆さんも、横目で見ながら、歩を緩めて通り過ぎた。


 

       ・ 原宿に

          レトロなモダン

           恋の味  (縄)



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