日々是好日・スローライフ(寅さんの柴又から発信)

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江戸時代の鷹狩り

2018年02月12日 | 技術  道具・伝承・歴史

 

 

 鷹狩に 将軍通った葛飾

 

所要があり博物館に出かけた。

曳舟川親水公園は、

「郷土と天文博物館」の道路を隔ててあります。

何時もながら、興味を引くブロンズ像をカメラに納めた。

 

      
葛飾郷土カルタ 

 「つしか郷土かるた」は、

「葛飾に住む誰もが、いつまでもふるさとに誇りを持ち、愛し続けて欲しい」

との願いから生まれました。

カルタに取上げた44の題材は、小・中学生から寄せられた5,379句の読み札の

「ことば」をもとに、自然、産業、文化・歴史、人物などを選定し地域性も考慮しながら

「かつしか郷土かるた制作委員会」で作成しました。

 

むかしの葛飾の鷹狩り(江戸時代)

飾には、湖沼が多かったことから、鷹狩りに適する土地として知られており、

幕府将軍もしばしばこの地を訪れています。

葛西城跡地には御殿が造られ(青戸御殿)、鷹狩りの際の休息所として利用されていました。

八代将軍吉宗の頃には、小菅に御殿が造られました(小菅御殿→小管拘置所)。

また、江戸に住む庶民にとっても、葛飾は保養地として人気でした。江戸時代後期には、

柴又帝釈天への参拝や、堀切菖蒲園への行楽などで賑わったようです。
 

 


曳舟親水公園の全体案内図

 
江戸時代の曳舟公園の絵図


鷹狩りを示した、昔の説明板

 

 
鷹の飛ぶを見つめる

 


鷹狩り、仕留めようと見つめるブロンズ像

 

余談・お花ちゃん

 江戸時代、幕府の鷹(たか)場だったころ、辺りに3軒の茶屋があった。

鷹狩りで訪れた8代将軍吉宗(暴れん坊)は、狩猟中に腹痛を起こし、近くの茶屋に駆け込んだ。

 店主の新左衛門さんが、秘蔵の茶釜で湯を沸かして吉宗に飲ませ、娘の「お花」が看護した。

めでたく腹痛が治った吉宗は、その店を「お花茶屋」と名づけ、

以後は狩猟のたびに必ず通ったそうだ。

「お花茶屋駅」はその名残り。

 

以前も記事にしたが、あしからずです。 
"お花ちゃん”という親しみ易い、地名なので綴りました。

 

鷹狩りとお花ちゃん 

浜離宮の鷹術

 

コメント (8)
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青砥神社

2018年02月12日 | 紀  フジの会 ・ 葛ハイ

 地名は青戸、神社は青砥

 

 青砥神社

  万葉集」巻十四の東歌に  『にほどりの葛飾早稲を贄すとも そのかなしきを外に立てめやも』  とありますが、この地は米どころとして葛飾の野に実った早稲の新米を神様に供して新嘗の祭事を営んでいたことが窺えます。 

青戸(あおと)の由来と変遷 (青砥⇔青戸)

  〈青戸〉の表記は、住居表示は「青戸」、京成電車の駅名は、東京都葛飾区青戸3丁目36番1号に有りながら「青砥駅」と表示されている。
〈青砥〉には、鎌倉時代に名判官として知られた青砥藤綱の館跡(葛西城)と言う事から「青砥」が正しいと考える人が多いと思います。しかし歴史的に地名を追ってみるとそうとばかりは言えない。

葛飾区史による青戸(あおと)
  土地の古老は、青戸のことを「おおと」と訛って言った。「寛永日記」には、「18年正月
25日大獣院御游狩の時、新宿近所大戸古城御殿に渡らせ・・・・」云云とあります。また他の文書にも、「葛西大戸、御うまや清掃人庄左エ門」とあって、おおと(大戸)がはっきりしている。
  元来、戸・津の転化したものと言われ、港津に関係があり、とのつく地名は相応に古い。いずれも往古の渡し場を意味するものとされ、付近に奥戸の地名がある。
一説によれば、青砥は青砥に作り青砥は球を磨いて美しくするという意味もあると言われますが、その根拠はない。

 


青砥神社の入口(裏門)

 


青砥神社表入口(手水処がある)

 


青砥神社の庫内の神輿

 

 


 

観音寺(青砥神社に隣接)
青戸神社の別当(別に本職にあるものが他の職をも兼務 する)


立派な鐘楼

 

青戸、青砥の地名の由来と変遷だけに終始しました。

 

          * 寒の中今日も行く往くフジの会 
                      神社仏閣わが街歩き

コメ欄は閉めています。


 

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