和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

都留・鶴見。

2010-05-07 | 他生の縁
渡部昇一著「楽しい読書生活」(ビジネス社)をひらいていたら、
そこの都留重人氏がでてくる箇所がありました。

「ノーマン氏は戦後日本では絶大なる尊敬を集め、その全集は岩波書店から出ています。しかし駐エジプト大使としてカイロに赴任していた1957年(昭和32年)、コミンテルンのエージェントであることを暴かれて自殺をしています。
都留重人氏は戦前、左翼だったために日本にいることができなかったのでアメリカへ行き、ノーマン氏と親しい関係にありました。かつて私は、日本船舶振興会の会長だった笹川良一さんから英文のレポートを見せてもらったことがありますが、そのなかにour agent,Turu Shigeto(われらが工作員、都留重人)という文字があったことはいまでも鮮明に覚えています。・・・・」(p128)


さて、私は都留重人氏について、何も知らないわけなのですが、
鶴見俊輔著「言い残しておくこと」(作品社)に都留氏と鶴見氏との関係がでてきておりました。そこを引用


「私には弟子がいません。つくらない。でも、師というべき人は1人だけいる。都留重人さんです。15歳で都留さんに会ってから、一貫して彼は私の師でした。それが揺らいだことはない。最初都留さんは、『君は佐野碩の従弟だろう』というところから私に好意をもってくれたんです。」(p16)
 
 この箇所の注には

「都留重人(つるしげと・1912~2006)経済学者。旧制八高在学中に反帝同盟事件で除籍、その後米ハーヴァード大学へ。同大で鶴見氏と知り合う。戦後、カナダの歴史学者E.H.ノーマンが自殺したのは、都留証言が原因だと非難されたときも、鶴見氏は『自由主義者の試金石』(1957)を書いて、支援・擁護した。」(p17)

「佐野碩(1905~66)。演出家。鶴見氏の母愛子の姉シズの息子。左翼演劇活動にかかわる。『インターナショナル』の歌詞の共訳者として知られる。31年にソ連へ渡り、メイエルホリドの助手を務めるが、スターリンの粛清後はメキシコに亡命。当地の演劇の興隆に寄与し、『メキシコ演劇の父』と称される。鶴見氏の『グアダルーペの聖母』に『佐野碩のこと』などがある。」(p18)


ちなみに、鶴見氏は姉和子氏についても、語っておりました。

「キリスト教徒についにならなかったのは、姉の和子と私だけ。和子はどういう立場かというと、国家神道になる前の神道、つまりアニミズムなんです。彼女が南方熊楠を高く評価したのは、彼がアニミストだからなんです。熊楠は生態系を破壊するというので国家の神社合祀令に反対して牢屋に入ったでしょう。彼女もそういう立場です。和子は、アメリカにいた間と戦後の初期の三、四年は、マルクス主義という・・宗教に入っていたけれど、結局そこから離れたんです。」(p15)
コメント
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