渡部昇一著「楽しい読書生活」(ビジネス社)をひらいています。
そこに愛読書について、こんな箇所。
「あなたは繰り返し読む本を何冊ぐらいもっているだろうか。
そしてそれはどんな本か。それがわかれば、あなたがどんな人か言い当てることができる――という言葉がありますが、私もまったくそのとおりだと思います。もしそうした座右の書をもっていないようなら、いくらたくさん本を読んでいても、その人を『読書家』と呼ぶことはできません。厳密に定義するなら、読書家とはやはり『生涯の愛読書をもっている人』ということになります。
『若い人が読書家になるために何かアドバイスせよ』といわれたら私はまず、この二、三年間に読んで面白いと思った本を片っぱしから読み直してみることを奨めます。そうして二度目に読んでも面白いと感じた本だけ、翌年か翌々年にまた読み返す。そういうことを繰り帰していけば、いつの間にかその人自身の愛読書(古典)ができます。
最初は面白いと思った本でも二度目に読むと、『な~んだ』と感じることがあります。また、再読してますます面白くなる本もあります。・・・」(p74~75)
さてっと、この渡部氏の本の最後に、「無人島に持って行く十冊」というのが載っております。おもしろかったのは、その続きがありまして、「無人島に一年間いるとき持って行く本」というリストが最後にありました。うん。おもわず見ると、その一冊に「シェイクスピア『ソネット集』」とありました。そこに「イギリスの詩人の一冊を選ぶとすれば、何と行ってもこれだ。」とあります。
そうか。と思って。さっそくソネット集をパラパラとめくってみる。そこから、すこし引用。
私が気にいっているのは、中西信太郎訳。
こん回、目にとまったのは、第17番~19番の詩でした。
かくして私の詩稿は 歳月とともに古びて黄色くなり
口だけ達者な老人のように 人びとからさげすまれるであろう
そして君に対する当然の讃辞も 詩人のほしいままな空想として
また昔の歌の法外な誇張の調べとして 片づけられるであろう
(第17番)
つづいて第18番の詩全文
君を 夏の日にたとえようか
君は もっと美しく もっとおだやかだ
あらしが 五月のかわいい蕾を散らし
夏の季節は あまりにも短いではないか
ときには 太陽の光は 暑く照りすぎる
ときには 輝く黄金の顔に 雲がかかる
こうして 自然のなりゆきや 時のはずみで
すべての美は いつかその美をそこなっていく
けれども 君の常夏の日は 色あせる時がなく
君に宿る美は 君から離れることがなく
君が冥府(よみ)の闇路をたどると 『死』に言わせることもない
この永遠の詩のなかで 君が『時』と合体するときには
ひとが生きるかぎり 眼が見えるかぎり 長く
この詩は生きて 君にいのちを与えるのだ
そして、第19番の詩の最後の2行は
しかし 古老の『時』よ 汝がどんな危害を及ぼそうとも
恋人は私の詩の中で 老いることのない青春を生きるのだ
そこに愛読書について、こんな箇所。
「あなたは繰り返し読む本を何冊ぐらいもっているだろうか。
そしてそれはどんな本か。それがわかれば、あなたがどんな人か言い当てることができる――という言葉がありますが、私もまったくそのとおりだと思います。もしそうした座右の書をもっていないようなら、いくらたくさん本を読んでいても、その人を『読書家』と呼ぶことはできません。厳密に定義するなら、読書家とはやはり『生涯の愛読書をもっている人』ということになります。
『若い人が読書家になるために何かアドバイスせよ』といわれたら私はまず、この二、三年間に読んで面白いと思った本を片っぱしから読み直してみることを奨めます。そうして二度目に読んでも面白いと感じた本だけ、翌年か翌々年にまた読み返す。そういうことを繰り帰していけば、いつの間にかその人自身の愛読書(古典)ができます。
最初は面白いと思った本でも二度目に読むと、『な~んだ』と感じることがあります。また、再読してますます面白くなる本もあります。・・・」(p74~75)
さてっと、この渡部氏の本の最後に、「無人島に持って行く十冊」というのが載っております。おもしろかったのは、その続きがありまして、「無人島に一年間いるとき持って行く本」というリストが最後にありました。うん。おもわず見ると、その一冊に「シェイクスピア『ソネット集』」とありました。そこに「イギリスの詩人の一冊を選ぶとすれば、何と行ってもこれだ。」とあります。
そうか。と思って。さっそくソネット集をパラパラとめくってみる。そこから、すこし引用。
私が気にいっているのは、中西信太郎訳。
こん回、目にとまったのは、第17番~19番の詩でした。
かくして私の詩稿は 歳月とともに古びて黄色くなり
口だけ達者な老人のように 人びとからさげすまれるであろう
そして君に対する当然の讃辞も 詩人のほしいままな空想として
また昔の歌の法外な誇張の調べとして 片づけられるであろう
(第17番)
つづいて第18番の詩全文
君を 夏の日にたとえようか
君は もっと美しく もっとおだやかだ
あらしが 五月のかわいい蕾を散らし
夏の季節は あまりにも短いではないか
ときには 太陽の光は 暑く照りすぎる
ときには 輝く黄金の顔に 雲がかかる
こうして 自然のなりゆきや 時のはずみで
すべての美は いつかその美をそこなっていく
けれども 君の常夏の日は 色あせる時がなく
君に宿る美は 君から離れることがなく
君が冥府(よみ)の闇路をたどると 『死』に言わせることもない
この永遠の詩のなかで 君が『時』と合体するときには
ひとが生きるかぎり 眼が見えるかぎり 長く
この詩は生きて 君にいのちを与えるのだ
そして、第19番の詩の最後の2行は
しかし 古老の『時』よ 汝がどんな危害を及ぼそうとも
恋人は私の詩の中で 老いることのない青春を生きるのだ