和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

文学理論家漱石。

2010-05-02 | 短文紹介
鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書)に
弔辞という文がありまして、そのはじまりは
「吉本隆明の『追悼私記』を読んで、『あとがき』の一節が心にのこった。」
とあります。う~ん。それじゃ。ということで『追悼私記』を、パラパラとめくっていると、そこに三浦つとむ氏のついての文があり、そこで夏目漱石へと言及している箇所があったのでした。

まあ、とりあえず、その最初の箇所から引用してみます。
そこでは、主人と客との対話形式で書かれておりました。
「主 : 十月二十七日未明に三浦つとむが亡くなった。回想して哀悼の意を表しておきたいね。・・・『試行』の執筆者であり、協力して校正などに身を入れてくれた時期もあり、重要な存在だった。・・つまらぬ組織的野心など発揮しようとせず、いかにも愉しそうに原稿を書き、鼻歌をうたいながら愉しそうに校正などやっていた姿が、眼にうかんでくる・・・」

「客 : ・・・おれはこの人の漱石を論じた文章がいちばん好きだったなあ。漱石は文学とはなにかを科学的につきつめていって、じぶんのつきつめた(あるいはつきつめきれなかった)文学理論をじっさいに作品で試みるために小説を書きはじめたという見解を、漱石の文学の動機に挙げたのは、おれの知っているかぎり三浦つとむだけだよ。おれはおもわずハッとしたね。これはものすごい卓見で、ほんとうにそうだったかもしれない面を、漱石の文学はもっている。漱石の作品にはどこかしらに【問題】小説(プロプレマテイク・ノベル)の面があって、それが講談調になってみたり、推理小説風になってみたり、観念の長口舌を登場人物がやってみせたりというところに、あれわれている。意識的か無意識的かは別として、文学理念が先にあって創作はそれをためしてみるための手段だという面があったからだといえなくない。三浦つとむのこの漱石観には、謎解きの論理に熱中したところから、しだいに哲学に踏みこんだじぶんの体験と、芸術理論家としての知見とがとてもよく発揮されていた。三浦つとむの文章のなかでいちばん文学的な文章だったとおもうな。
主 : おれもあの文章は好きだったな。・・・・・
たしかに三浦つとむの漱石観はおもしろかった。『文学理論家が小説を書くようになった』のが漱石だといっている。漱石の文学をそう解した批評はないよ。・・・」

う~ん。興味深い。興味深いけど、私はここまで、これから先は買わないよ(笑)。
コメント
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