和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ゲゲゲの~。

2010-05-23 | 詩歌
武良布枝著「ゲゲゲの女房」(実業之日本社)に
「鬼太郎の歌」の歌詞をつくる箇所が出てきます。

「夜、遅くまで、水木は机に向かって、歌詞を考え続けていました。そしてある日の朝、『できたぞ!』と満面の笑みを浮かべて、いちばん最初に私に見せてくれました。考えに考えた末に生れた歌詞でした。私はこれを見て、なんていい歌なんだろう、と心底感心しました。ユーモアがあって、おおらかで、楽しそうで。寝床でぐーぐー朝寝をしているなんてところは水木そくりです。

   ゲッゲッ、ゲゲゲのゲー
   朝は寝床で、グーグーグー
   たのしいな たのしいな
   おばけにゃ 学校もしけんも
   なんにもない
・ ・・・・・・・・

この詩に、いずみたくさんが曲をつけ、熊倉一雄さんが歌ってくれました。この曲をはじめて聞いた関係者の人たちが、一様に『すごい!』と驚いたと、後に聞かされました。そして、そのLP盤が完成した昭和42(1967)年に、テレビアニメ化の話がまた動きはじめました。テレビ化にあたり、水木と『少年マガジン』の内田さん、東映の渡辺さん、キングレコード、フジテレビの人たちが話し合い、『墓場の~』ではなく『ゲゲゲの~』にタイトルを変えることとなりました。この題名変更によって、スポンサー問題が解決に向ったのです。」(p150~151)


ちなみに、足立倫行著「妖怪と歩く  評伝・水木しげる」(文藝春秋)に
手塚治虫のアトムのアニメ主題歌に関する言葉が拾われております。

「手塚治虫が亡くなって半年後、JICC出版局から『一億人の手塚治虫』という手塚に関する膨大な証言資料集が刊行された。その中に著名人らの追悼の言葉を集めた一章があり、水木のものも収録されていたが、その言葉というのが群を抜いて異色だった。水木はこう言っていたのだ。『売れない貸本マンガを描いていた終戦後、小学生が歌う【アトム】の歌に、【貧乏から脱出したい】と思ったナァ』
他の全員が手塚の天才と功績をさまざまに誉め称え、早過ぎる逝去をこぞって嘆き悲しんでいるというのに、水木一人が素っ気ない。いや、人間手塚やその作品にすら全然触れてない。アニメの主題歌と自分の貧困のみ、なのだ。」(p33~34)


足立氏の本には朝の寝床についての記述も拾えます。

「昭和初期、水木は友人たちから『ゲゲ』と呼ばれていた。幼い頃に自分の名を『シゲル』と発音できず、『ゲゲル』と訛っていたからだ。・・・・学業成績は、本人も認めている通り、劣等生に近かった。朝はゆっくりと起床し、兄や弟の分までたっぷり食べてから登校するので、毎日のように遅刻して廊下に立たされた。」(p16)


また、娘さんの尚子・悦子さんの話がおもしろい。
長女尚子さんの話。
「私の朝寝坊は父のせいです(笑)。武良家では父の方針で、たっぷり睡眠をとることとゆっくり時間をかけて充分食事をすることを、最重要視してました。おかげで私も私も妹も、よく寝てよく食べる娘に育ちまし(笑)。」(p86)

次女悦子さんの話。
「中学時代が一番遅刻しました。母が無理に起こすと父が怒るので、毎日のように遅刻です。お姉ちゃんは自分に厳しいところがあるけど、私は自分に甘い(笑)」(p87)
コメント
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