和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

溶鉱炉の火は。

2010-05-09 | 短文紹介
雑誌「WiLL」2008年2月号に
渡部昇一・日垣隆の対談があったのでした。

渡部昇一著「楽しい読書生活」(ビジネス社)
渡部昇一著「知的生活の方法」(講談社現代新書)
井上ひさし著「本の運命」(文藝春秋)
河合隼雄著「おはなし おはなし」(朝日新聞社)

以上。雑誌を入れて5冊をむすびつけたくなりました。

井上ひさし著「本の運命」には、蔵書13万冊のゆくえが報告されておりました。
渡部昇一の日垣氏との対談では蔵書15万冊のお話となっております。
ここは、以前にも引用したのですが、もう一度。

渡部】 ・・整理しきれずに、見たい本がどこにあるのかわからず歯がゆい思いをしながら死ぬのと、新しい書庫を建てるために借金をするのと、どちらがより愚かかと考えたわけです。・・
日垣】 で、大借金を選んだ(笑)
渡部】 そうです。77歳で、また借金です。
日垣】 しかし、77歳から数億円の借金というのは普通では考えられないことです。・・・
渡部】 安い時に土地を買ってありましたから、そのへん、私が死んでも取りっぱぐれはないと銀行はきちんと計算しています。
・ ・・・・
日垣】  渡部先生はいったい何歳まで生きるおつもりですか。あっ、すいません。
渡部】 95歳までは行きたいですね。・・・


ついつい、引用してしまいました。
さて、溶鉱炉についてです。

日垣】  私はどうも調べものをしているのが好きで、調べ出すと眠らない。モノを書き出す直前はとても辛いのですが、夜中に多彩な分野の本に目を通していく作業はとても楽しい。・・・
渡部】  ・・・ハマトンは仕事がのるまで時間がかかると言います。これは溶鉱炉みたいなもので、鉄を溶かすためにせっかく高温にしていても、夜がきたからといって溶鉱炉を止めてしまうと、一気に冷めてしまって使い物になりません。また、鉄を溶かす温度まで上げようと思ったらものすごくエネルギーがいります。ですから、溶鉱炉の温度が上がったら鉄ができるまで一気に片づけてしまったほうがいい。・・・


溶鉱炉といえば、河合隼雄著「おはなし おはなし」に「下宿の溶鉱炉」という短文がありまして印象に残っております。そこから

「・・私はあまり勉強をしない学生だったが、やはり試験になるとある程度はやらないとパスできない。いつかも書いたが当時は兄の雅雄と二人で六畳一間に下宿していた。兄の方は動物学教室なのでリポートなどが多く、私のように『試験』で苦しむことは、あまりない。兄はいたく同情してくれて、私が試験勉強に集中している間は、丹波篠山の家の方に疎開してくれることになった。私は一人で下宿にこもり、『解析概論』を一日に二十ページ読むと決めて頑張る。食事のために外出するのも面倒なので、ハクサイを買いこんできて、それに少量の――貴重品である――豚肉を入れて炊く。ハクサイが少なくなると、また、新しく切って入れ、味がなくなってくると、豚肉を少し放りこむ。こんなふうにして籠城していると、兄が篠山から食物をもって陣中見舞いに来てくれた。
『おう、やっとるなあ。溶鉱炉の火は消えず!』と兄が言ったので大笑いになった。『溶鉱炉』とはうまく言ったものだ。確かにそれは消えずに燃え続け、ハクサイと豚肉はだんだんと味がしみておいしくなる。その上、それは暖房も兼ねているのである。コンロに炭火をおこして、ずっと炊き続けているのだが、今の大学生たちには想像できぬ光景であろう。この豚肉とハクサイの溶鉱炉は私の専売特許のごとくなり、いざ籠城となると、溶鉱炉の火を消さなぬようにして頑張ったものだ。
当時の私は、ともかく食物に金を使うのはもったいないと、決めてかかっていた。食べることはできる限り節約し、古本屋めぐりをして、本を買うことに心をくだいていた。欲しい本を見つけてもすぐに買えず、金がたまるまでは、見に行ってはまだあるぞと確かめる。とうとう金がたまって行くと、すでに売れていた、などということもあった。こんなふうに熱心になると、本を買うことに大きい意義を見いだすことになって、買うことに満足感があって、あまり読まなくなるものだ。しかし、『解析概論』(高木貞治)は珍しく丹念に読破したものとして忘れ難く・・・・」

さてっと、井上ひさし著「本の運命」には、本当の溶鉱炉が登場しておりました。
ちなみに、この本、図書館と井上ひさし氏との関係について辿った本としても読めるのでした。では溶鉱炉の箇所。

「昭和28年、ちょうど日本が高度成長に向おうとしていた時代です。釜石の製鉄所は次々に新しい設備を拡大し、人口もどんどん増えて、街全体がたいへんな勢いでぶつぶつ沸き立っていました。母は『釜石は東北の上海(シャンハイ)だ』なんて言ってましたけど、感覚としてはよくわかりました。
製鉄所は溶鉱炉をいったん消すとたいへんですから、24時間体制で鉄をつくってます。だから、三交代の人たちが工場に出勤したり、家に向って急いだり、町は一日じゅう人通りがたえず、いつが夜だか朝だかわからない。
図書館も24時間営業、一時間も休まない。夜中とか明け方に仕事が終わった人も、図書館にいって本を借りて家に帰ることができる。製鉄所が景気がよくて市には税金がたくさん入りますから、釜石市全体が製鉄所に奉仕しているという恰好になっていました。」(p109)

「・・・そんな時に、この図書館は、まことに有り難かった。普通、図書館の開館時間といえば、朝九時から夕方五時までというのがほとんどで、働く人は絶対いけないようになってる。ところが釜石だけはそういう事情で、いつ行っても図書館が開いてるんですね。」

こういう図書館の味を覚えてしまった井上ひさし氏が、上智大学へもどる話がつづきます。

「もう一度大学へ戻ることになりました。・・・もちろん大学には図書館がありました。釜石で感激してますから、ここも通いつめた。ところが、この上智大学図書館がひどかった。夜八時まで開いているんですけど、借りた本はそれまでに必ず返さなければいけない。返さないとバツ印がついて、次から借りられなくなる。ところが、こっちもアルバイトの都合やなんかで、そう時間通りにはいかない。遅れまいと必至で走っていくんですが、館員に厳格な人がいて、一秒でも過ぎると返却を受け付けてくれないんです。『これを受け取ってくれないと次の本借りられないんだ』って言うと、『いや、だめだ、規則だから』の一点張りで、融通が利かないんですね。八時ちょうどに鎧戸を下ろしはじめるので、下に足を突っ込んで何とか隙間から本を返そうとするんですが、逆に足を蹴飛ばされたり――(笑)。この館員に怒っている学生がたくさんいたんです。そこで、みんなで『よし、あいつに一度、泡を吹かしてやろう』と相談一決、大学図書館が一番大事にしてる本を盗んでしまおうということになった。・・・その館員は五時から来るんですね、というのは彼もアルバイトなんですよ。図書館で働いて生計を立てながら、上智の大学院で勉強している。今、考えればじつに見上げた苦学青年ですが、僕らを怒らせたのが運の尽きだった(笑)。・・・すきに、本を持ち出して、神田へ売りにいって、そのころ流行の『なんでも十円寿司』で腹いっぱい食べました(笑)。後で彼はすごく叱られたという噂を聞いて、溜飲を下げましたが、後日談を言いますと、彼はのちに有名な評論家になられました(笑)。」(~p117)


そういえば、というので今度は渡部昇一著「知的生活の方法」をひらいてみると、上智大学の図書館のことが、ここに出てくる。

「・・二年ばかり、異常な幸運に恵まれたことがある。それは海外留学から帰ってきた直後のことであった。留学中も同じく衣食を節して本を買ったのであるが、当然、東京には置くところがないので、大学宛に送った。そして帰ってくると上智大学の講師になり、志願して図書館の住込み宿直員になった。図書館のまだ空いているところに私の本を置いてもらい、同じ建物の中の夜警宿直者用の小部屋に住まわせてもらうことになったのである。普通の日は図書館は七時ころまでには閉まる。私は窓が全部閉まっているかどうか、三階建ての建物を見廻る。そして鍵をおろす。するとこの建物は私の城となった。正確に言えば、この建物にはもう一つ宿直室があり、若い哲学の研究者が住んでいたから、私たち二人の城となったと言うべきであろう。彼も読書家で議論好きで、しかも音楽に詳しかった。」(p97)


う~ん。上智大学図書館の閉館時間が、井上氏は8時に閉まるというし、渡部氏の時は7時ころまでに閉まるという、その差は、あの事件があってからなのでしょうか。

さて、もう一度「溶鉱炉」へ。
「知的生活の方法」に溶鉱炉の記述があります。
そちらを引用して終わります。

「溶鉱炉というものは、一度火を消してしまうと、再び鉄が溶けるようになるまでにするのが大変なので、どんな場合でも火を消さないようにすることを、だいいちに考えるのだそうである。ある考えをまとめようとしつつ、参考書に当ったり、書きはじめては破ったり、アウトラインを書いてみたりして、ようやく頭のエンジンが暖まって調子が出てきたな、と感ずるまでには、人にもよるだろうが、一時間から二時間かかるとみてよい。それからもう二時間か三時間、中断されることなくその仕事を続けるならば、頭は冴えてきて、その仕事に取りかかるときには予想もできないことを理解し、思いがけぬ霊感も次から次へと湧いてくるであろう。そこまでいたるには、一、二時間のウォミング・アップみたいなものが必要なので、それが中断されることは、ようやくエンジンが暖まりかけたときに水をかけるようなものであり、溶鉱炉の火をしょっちゅう消すようなものである。・・・」(p175)
コメント
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