NHK朝の連続ドラマ「ゲゲゲの女房」は、いよいよ前途多難ながら、水木さんが河童の三平を描くというところにさしかかってきました。ということで、あなたは「河童の三平」を読んだ?
まずは、鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書・2010年3月)に登場する、この言葉から。
「水木しげるの『河童の三平』は、私の古典である。そこに出てくる死神は愛嬌があって、ヨーロッパの神話に出てくるような荘厳な風格をもっていない。」(p32)
さて、「河童の三平」で小学校の水泳大会がでてきます。
それについて、足立倫行著「妖怪と歩く 評伝・水木しげる」(文芸春秋)に、こんな箇所。
「水木は陸上競技や水泳も得意で、毎年台場公園で開催される五ヵ町村対抗の小学校連合体育大会の常連選手だった。昭和十年(1935年)の夏には、淀江で開かれた県の水泳大会に学校代表チームの一員として出場した。」
ちょいと、この箇所は引用していきましょう。
「しかし僕は、自伝やエッセイでも触れられている絵やスポーツのことより、旧友たちの記憶にある『あの頃のゲゲやん』の初めて聞くエピソードの方に興味をそそられた。景山は夏の夜の肝試しを覚えていた。『真っ暗な墓地に、順番で一人ずつ行って、行った証拠に何か品物を取ってくーですわ。私ら恐いですけんね、せいぜい端っこの塔婆を引き抜いてくーぐらいのもんです。ところがゲゲやんは、湯呑みですよ、あの小さい湯呑み。あれは、仏さんの社の奥に手を突っ込まんと取れんですけん。死んだばっかりの仏さんの社ですよ!みんな仰天ですわ』・・・豊田省一は、水木の奔放な無邪気さに唖然としたことがあった。『隣町の外江で武良やつと泳いだことがあーましただ。わしらはパンツはいちょーましたが、武良は「汚れーとお母ちゃんに怒られる」てーで、スッポンポンですわ。そこへ、遊びにきとったのか、二級したの堺の女子が何人か通りかかりましてな。わしら十二、三の時ですけん、多少は色気付いちょーもんで、パッと石垣に隠れたんですわ。恥ずかしけん。でも武良だけは平気で泳いじょーますだ。素っ裸で。あげなことは何ともないようでしたな、あの男は』・・・水木のクラスのマドンナ的存在だった池淵は、ふだん学級内でふざけたり道化役を演じたりして教師に叱られてばかりいた水木が、時として異様に真剣な表情を見せることがあったのを忘れられない。『お寺でお葬式があると[ そーれん見に行かい ]ってよく友達と見物に行ったもんです。すると、必ず武良さんが先にきとられるんです。武良さんの見物場所は決まっていて、いつも本堂に向かって右手の角のところ。葬式が始まると、ほんに一生懸命見ておられる、私たちは途中で帰るんですが、武良さんは最初から最後までいつも真剣に見物されてました。今でもその姿は目に焼きついております』・・・」(P283~285)
うんうん。ここから、本名武良茂(むらしげる)こと、水木しげるの描く「河童の三平」まで、ほんの少しの堺を越えるだけのようではありませんか。
まずは、鶴見俊輔著「思い出袋」(岩波新書・2010年3月)に登場する、この言葉から。
「水木しげるの『河童の三平』は、私の古典である。そこに出てくる死神は愛嬌があって、ヨーロッパの神話に出てくるような荘厳な風格をもっていない。」(p32)
さて、「河童の三平」で小学校の水泳大会がでてきます。
それについて、足立倫行著「妖怪と歩く 評伝・水木しげる」(文芸春秋)に、こんな箇所。
「水木は陸上競技や水泳も得意で、毎年台場公園で開催される五ヵ町村対抗の小学校連合体育大会の常連選手だった。昭和十年(1935年)の夏には、淀江で開かれた県の水泳大会に学校代表チームの一員として出場した。」
ちょいと、この箇所は引用していきましょう。
「しかし僕は、自伝やエッセイでも触れられている絵やスポーツのことより、旧友たちの記憶にある『あの頃のゲゲやん』の初めて聞くエピソードの方に興味をそそられた。景山は夏の夜の肝試しを覚えていた。『真っ暗な墓地に、順番で一人ずつ行って、行った証拠に何か品物を取ってくーですわ。私ら恐いですけんね、せいぜい端っこの塔婆を引き抜いてくーぐらいのもんです。ところがゲゲやんは、湯呑みですよ、あの小さい湯呑み。あれは、仏さんの社の奥に手を突っ込まんと取れんですけん。死んだばっかりの仏さんの社ですよ!みんな仰天ですわ』・・・豊田省一は、水木の奔放な無邪気さに唖然としたことがあった。『隣町の外江で武良やつと泳いだことがあーましただ。わしらはパンツはいちょーましたが、武良は「汚れーとお母ちゃんに怒られる」てーで、スッポンポンですわ。そこへ、遊びにきとったのか、二級したの堺の女子が何人か通りかかりましてな。わしら十二、三の時ですけん、多少は色気付いちょーもんで、パッと石垣に隠れたんですわ。恥ずかしけん。でも武良だけは平気で泳いじょーますだ。素っ裸で。あげなことは何ともないようでしたな、あの男は』・・・水木のクラスのマドンナ的存在だった池淵は、ふだん学級内でふざけたり道化役を演じたりして教師に叱られてばかりいた水木が、時として異様に真剣な表情を見せることがあったのを忘れられない。『お寺でお葬式があると[ そーれん見に行かい ]ってよく友達と見物に行ったもんです。すると、必ず武良さんが先にきとられるんです。武良さんの見物場所は決まっていて、いつも本堂に向かって右手の角のところ。葬式が始まると、ほんに一生懸命見ておられる、私たちは途中で帰るんですが、武良さんは最初から最後までいつも真剣に見物されてました。今でもその姿は目に焼きついております』・・・」(P283~285)
うんうん。ここから、本名武良茂(むらしげる)こと、水木しげるの描く「河童の三平」まで、ほんの少しの堺を越えるだけのようではありませんか。