昨日の朝刊で、宮崎駿監督の引退声明を知りました。
テレビつけて、街頭インタビューでのコメントを聞いていると、これは宮崎駿監督が亡くなったのかと、間違えてしまうような雰囲気がありました。
生前葬というのが、あるそうですが、まるで、そんな印象。
ということで(笑)、
「編集者齋藤十一」(冬花社)を、ひらく。
この本のはじまりは、瀬戸内寂聴と山崎豊子のお二人の弔辞からでした。
そこで、興味をひいたのが、山崎さんの弔辞。
こんな箇所があります。
「・・・『大地の子』を書き終えた直後、齋藤さんをお訪ねして、『もうこれ以上の作品を書く自信がありませんから現役を退きたく、何をおいてもまず私をお育て下さったお方に長年のご恩を謝し、おいとまごいに参りました』
ご挨拶すると、
『芸能人には引退があるが、芸術家にはない、書きながら柩に入るのが作家だ』と言下に云われ、瞬時おいて、
『時に私の死期も近いから、私への生前香典として香典原稿を一作戴きたい』
と申されました。香典原稿とはあまりに重く辛いお求めでしたが、私には辞退が許されぬものと思いを決めました。それが『沈まぬ太陽』でした。・・・・」
テレビつけて、街頭インタビューでのコメントを聞いていると、これは宮崎駿監督が亡くなったのかと、間違えてしまうような雰囲気がありました。
生前葬というのが、あるそうですが、まるで、そんな印象。
ということで(笑)、
「編集者齋藤十一」(冬花社)を、ひらく。
この本のはじまりは、瀬戸内寂聴と山崎豊子のお二人の弔辞からでした。
そこで、興味をひいたのが、山崎さんの弔辞。
こんな箇所があります。
「・・・『大地の子』を書き終えた直後、齋藤さんをお訪ねして、『もうこれ以上の作品を書く自信がありませんから現役を退きたく、何をおいてもまず私をお育て下さったお方に長年のご恩を謝し、おいとまごいに参りました』
ご挨拶すると、
『芸能人には引退があるが、芸術家にはない、書きながら柩に入るのが作家だ』と言下に云われ、瞬時おいて、
『時に私の死期も近いから、私への生前香典として香典原稿を一作戴きたい』
と申されました。香典原稿とはあまりに重く辛いお求めでしたが、私には辞退が許されぬものと思いを決めました。それが『沈まぬ太陽』でした。・・・・」