和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

3冊の文章読本。

2013-09-23 | 本棚並べ
谷崎潤一郎著「文章読本」。
私の購入したその古本は、昭和17年(140版発行)のもの。
やはり、その頃の単行本は、いいなあ(笑)。
文庫本との違いを感じます。

ところで、旺文社文庫の谷崎潤一郎著「文章読本」には、
高橋義孝氏の『言語への愛、人間への愛』という文が載っています。
「私が『文章読本』を最初に読んだのは、これが出版された当時、すなわち昭和9年であった。」と高橋氏は始めます。
その文に、こんな箇所が拾えました。
「ただ文章だけに限って云うならば、私は谷崎さんの文章、特に文学作品の文章は味つけが濃厚で、あまり好きではない。むろん悪文だなどというつもりは毛頭ないが。ところがこの『文章読本』の文章は作品でないせいか気さくでのびのびとしている。『春琴抄』の凝りに凝った、息苦しいまでの文章より、私にはこの方が文章として数段上のような気がする。・・」(p251)


うん。「気さくでのびのびしている」という『文章読本』をまた読んでみなくっちゃ(笑)。
さてっと、この谷崎潤一郎著『文章読本』の本文の前にある言葉に、こんな箇所があったのでした。

「・・ただ欲を言えば、枚数に制限されて引用文を節約したのが残念である。文章道に大切なのは理屈よりも実際であるから、一々例証を挙げて説明することが出来たならば、読者諸君の同感を得る上に、余程助けになったに違いない。・・」とあるのでした。

例証といえば、
芳賀矢一・杉谷代水編の二冊。
「作文講話及文範」は、明治45年に出版。
「書翰文講話及文範」は、大正2年に出版。
この二冊が思い浮かびます。

これについては、
中野重治著「本とつきあう法」(ちくま文庫)
に、こんな箇所があったのでした。

「ところで文章の書き方、手紙の書き方について学ぶには何を読んだらいいか。僕は太鼓判をおして『作文講話及文範』と『書簡文講話及文範』との二冊をおす。谷崎潤一郎の『文章読本』は『含蓄』ということを説いていただろう。しかし文章の書き方、手紙の文の書き方を教えた本としては、そういう書物としての含蓄のほうはこの二冊のほうに一段とたちまさってある。・・・・二冊のうちどっちか一冊を読めば、二人の学者がどれほど実地ということを肚(はら)において、少しでもヨリよくということを目やすにして、善意をかたむけてこの本をつくったかが流れこむように心に受けとられてくる。・・・古いといえば古い。とはいっても、日本語、日本文がそれほど変ったわけではない。またこういったものは、ある意味では古いものがいいためにこの本がいいのだ。・・」(p106)

うん。ここまできたら、向井敏さんが「本とつきあう法」から引用して、一読印象鮮やかだった、あの箇所も。

「ああ、学問と経験とのある人が、材料を豊富にあつめ、手間をかけて、実用ということで心から親切に書いてくれた通俗の本というものは何といいものだろう。僕はこれを刑務所の官本でたのしんで読み、出てから古本屋で見つけてきて今に愛蔵している。・・」(p107)

ということで、
谷崎潤一郎著「文章読本」。
「作文講話及文範」上下。
「書翰文講話及文範」上下。
の3冊を並べてみます。
そういえば、
谷崎著「文章読本」に
「感覚を研くにはどうすればよいかと云うと、
出来るだけ多くのものを、繰り返して読むこと
が第一であります。」(感覚を研くこと)

とあります。
出来るだけ多くは
私にはとても無理(笑)。
せめて、この3冊を、
繰り返して読めますように。
そう呪文をかけて、
あらてめて、本棚へ。

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