里見義作詞「埴生の宿」の一番目には
花はあるじ、鳥は友。
二番目には、
月はあるじ、むしは友。
という言葉があります。
近頃でいえば、季節的に「虫は友」の時期ですね。
竹山道雄著「樅の木と薔薇」(昭和22年2月)に
「『人間が歴史から学ぶことはただ一つ、――それは、人間は歴史からは何も学ばぬ、ということだ』という言葉は真実です。・・・・むかしは、こういう測るべからざる力に対する知覚を人間にあたえようとて、詩人が竪琴を弾じて歌いました。」
うん。竪琴といえば、竹山道雄の童話「ビルマの竪琴」。
そこでは、「埴生の宿」も歌われます。
平川祐弘著「開国の作法」に
「江戸の家庭、明治の家庭」という文が掲載されておりました。
そこから引用。
「幕末に渡英した中村正直は、異郷でイギリス人のhomeに迎えられ、その温かさに心打たれた。それは日本国内で孤児として育った若松賤子が外国宣教師に愛され、英米文学を読むうちに発見したなにかでもあった。里見義はイギリス人ヘンリー・ビショップ卿の『楽しきわが家』(Home,Sweet Home)の曲を聞いて、心がしめつけられるほどの共感を覚えた。しかし明治の人としてHome,Sweet Homeをそのまま直訳することはできなかった。自分の家庭を人前でほこるような自己顕示的なことは里見にはできなかったからである。彼は『万葉集』巻十一にある『埴生(はにふ)の小屋(をや)』の語を思い出した。
彼方(をちかた)の赤土(はにふ)の小屋(をや)に
ひさめ降り床さへ濡れぬ身に副(そ)へ吾妹(わぎも)
そして米人ペインの手になる19世紀英米の家庭讃歌の歌詞を次のように訳したのである。
埴生の宿も、わが宿、
玉のよそひ、うらやまじ。
のどかなりや、春のそら、
花はあるじ、鳥は友。
オーわがやどよ、たのしとも、たのもしや。
明治22年にこの『埴生の宿』は『中等唱歌集』に採用されて、やがて広く国民に愛唱された。今日では『埴(はに)』が黄赤色の粘土であることを知る児童はすくないであろう。『埴生の宿』が土にむしろを敷いて寝るような貧しい小家であると知る大人もけっして多くはないであろう。しかしそれがどのようにつつましやかな家であれ、『埴生の宿』がわが家庭の讃歌であることを老幼の日本男女は知っている。・・・」(p167~168)
せっかくですから
中西進全訳注原文付「万葉集(三)」(講談社文庫)の巻第十一をひらく。
ありました。やはり、原文は「埴生」ではなく「赤土」となっておりました(p72)
せっかく万葉集をひらいたのですから、
「八重葎(やえむぐら)」=(雑草。わが家の卑下。)が
登場する歌もここに紹介しておきます。
思ふ人来(こ)むと知りせば八重葎おほへる庭に珠敷かましを
玉敷ける家も何せむ八重葎おほへる小屋も妹とし居らば (p98~99)
「埴生の宿」の二番目も
最後に引用しておきます。
ふみよむ窓も、わがまど、
瑠璃の床も、うらやまじ。
きよらなりや、秋の夜半(よは)、
月はあるじ、むしは友。
オーわが窓よ、たのしとも、たのもしや。
花はあるじ、鳥は友。
二番目には、
月はあるじ、むしは友。
という言葉があります。
近頃でいえば、季節的に「虫は友」の時期ですね。
竹山道雄著「樅の木と薔薇」(昭和22年2月)に
「『人間が歴史から学ぶことはただ一つ、――それは、人間は歴史からは何も学ばぬ、ということだ』という言葉は真実です。・・・・むかしは、こういう測るべからざる力に対する知覚を人間にあたえようとて、詩人が竪琴を弾じて歌いました。」
うん。竪琴といえば、竹山道雄の童話「ビルマの竪琴」。
そこでは、「埴生の宿」も歌われます。
平川祐弘著「開国の作法」に
「江戸の家庭、明治の家庭」という文が掲載されておりました。
そこから引用。
「幕末に渡英した中村正直は、異郷でイギリス人のhomeに迎えられ、その温かさに心打たれた。それは日本国内で孤児として育った若松賤子が外国宣教師に愛され、英米文学を読むうちに発見したなにかでもあった。里見義はイギリス人ヘンリー・ビショップ卿の『楽しきわが家』(Home,Sweet Home)の曲を聞いて、心がしめつけられるほどの共感を覚えた。しかし明治の人としてHome,Sweet Homeをそのまま直訳することはできなかった。自分の家庭を人前でほこるような自己顕示的なことは里見にはできなかったからである。彼は『万葉集』巻十一にある『埴生(はにふ)の小屋(をや)』の語を思い出した。
彼方(をちかた)の赤土(はにふ)の小屋(をや)に
ひさめ降り床さへ濡れぬ身に副(そ)へ吾妹(わぎも)
そして米人ペインの手になる19世紀英米の家庭讃歌の歌詞を次のように訳したのである。
埴生の宿も、わが宿、
玉のよそひ、うらやまじ。
のどかなりや、春のそら、
花はあるじ、鳥は友。
オーわがやどよ、たのしとも、たのもしや。
明治22年にこの『埴生の宿』は『中等唱歌集』に採用されて、やがて広く国民に愛唱された。今日では『埴(はに)』が黄赤色の粘土であることを知る児童はすくないであろう。『埴生の宿』が土にむしろを敷いて寝るような貧しい小家であると知る大人もけっして多くはないであろう。しかしそれがどのようにつつましやかな家であれ、『埴生の宿』がわが家庭の讃歌であることを老幼の日本男女は知っている。・・・」(p167~168)
せっかくですから
中西進全訳注原文付「万葉集(三)」(講談社文庫)の巻第十一をひらく。
ありました。やはり、原文は「埴生」ではなく「赤土」となっておりました(p72)
せっかく万葉集をひらいたのですから、
「八重葎(やえむぐら)」=(雑草。わが家の卑下。)が
登場する歌もここに紹介しておきます。
思ふ人来(こ)むと知りせば八重葎おほへる庭に珠敷かましを
玉敷ける家も何せむ八重葎おほへる小屋も妹とし居らば (p98~99)
「埴生の宿」の二番目も
最後に引用しておきます。
ふみよむ窓も、わがまど、
瑠璃の床も、うらやまじ。
きよらなりや、秋の夜半(よは)、
月はあるじ、むしは友。
オーわが窓よ、たのしとも、たのもしや。