和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

あっという顔。

2013-09-16 | 詩歌
平川祐弘氏の古本で、次に注文したのは

高原書店の2冊
朝日選書「謡曲の詩と西洋の詩」
講談社学術文庫「ルネサンスの詩」
どちらも1000円
2000円+送料300円=2300円

「謡曲の詩と西洋の詩」の帯は
福原麟太郎氏でした、こうあります。
「この博学にして優雅な比較文学論は、謡曲の詩と神曲の詩を、内容と構造から同型のものとして研究するところに始まり、白楽天よりブレヒトに至る広汎は世界を眺めて、美しい環を画きつつ広がってゆく人間曼荼羅である。」

う~ん。何を言いたいのかわからない(笑)。
ただ、「この博学にして優雅な比較文学論」という書き出しは、いいですね。読み終ったら、もう一度帯を味わってみます(笑)。

ところで、
平川祐弘著「開国の作法」の竹山道雄追憶文に

「その時は自分が婿になろうとは思いもしなかった。その私が依子と結婚した後、
『実は私は先生の「近代思潮」のレポート20枚が面倒で、二行ごとに一行あきの詩を訳して差出しましたら、四単位分まとめて可を戴き閉口しました』
と白状すると、氏はあっという顔をして、
『生意気な真似をする学生がいる。落第点をつけてやろうと思ったが、追試験も面倒だ。それで最低点の五十点にしてやった。あれが君でしたか』
と笑った。
文筆活動の上では『第一作でその人のもの書きとしての印象が決るから、そこが大切だ』と注意を受けた。・・・」(p265)

うん。第一作よりも前の、訳詩の「レポート20枚」(笑)。

ちなみに、平川祐弘著「ルネサンスの詩」の
「内田老鶴圃版へのあとがき」は昭和36年夏となっており。昭和37年10月竹山道雄長女依子、平川祐弘と結婚。

「内田老鶴圃版へのあとがき」のはじまりは
「『ルネサンスの詩――城と泉と旅人と』は、筆者の東京大学大学院人文科学研究科比較文学比較文化過程の修士論文の一部(約三分の一を収録)である。」とはじまっておりました。

講談社学術文庫は、そののちのあとがきも収録されていて、「沖積舎版へのあとがき」には、こんな言葉を書き込んでおりました。
「新しい東大駒場学派の一人として、一外国文学研究の枠内に自己を限定することをせず、心奥から湧いて来る関心に忠実であろうとしたお蔭で、私は学者としてなにがしかの仕事が出来たのではないかとひそかに思っている。」(p309)

う~ん。この「・・ひそかに思っている」というのが
福原麟太郎氏のいう「・・広がってゆく人間曼荼羅」なのだろうか。
うん。この秋は、平川祐弘氏の詩を読むんだ。
コメント
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