平川祐弘著「書物の声歴史の声」(弦書房)は、
平川氏の他の著作を読みながら、途中で、
折にふれてパラパラとひらくと、これがまた楽しく。
何か、気さくに声を掛けられているような嬉しさがあります。
「進歩がまだ希望であった頃」を読みながら、
この「書物の声歴史の声」をひらくと、
「福翁自伝」という短文があるのに気づかされます。
そして、つい、そのはじまりを引用したくなります。
「文壇での作家評価と世間の評価との間にはギャップがある。文壇政治が横行する文壇の評価が正しいのかというとそうは言えない。世間のサイレント・マジョリティーの常識的判断の方が正しい場合はいくらでもある。『自分は文学を愛するから、文芸雑誌は買わず、文芸評論家の文章は読まない』という友人がいるが、一理も二理もある。」
そのあとも、引用したい。
「昭和初年、早稲田の出身者が文壇を牛耳っていた頃、
改造社の現代日本文学全集が刊行され一冊一円の円本は大ヒットした。
売れに売れて63巻まで出した。
第一巻は『明治開化期文学集』で、
慶応大学の創立者福沢諭吉の文章も拾われている。
ただし『かたわむすめ』と『世界国尽』の巻之一、
計3ページというお粗末な割り当て。
それに対し早稲田文学部の創設者坪内逍遥には
第二巻の一冊まるごと503ページの割り当て。
逍遥は文学者だが、諭吉は文学者ではない、
と編集者は認定したのだ。
日本文学史の番付はこうして定まった。・・・」
六年三ヵ月にわたり熊本日日新聞に連載された
「書物の声歴史の声」(連載時の題名は「書物と私」)は
一回がそうそう長くはなく、
この「福翁自伝」の文の後半も引用したくなります。
「では近頃、文壇の番付と世間の静かなる多数の評判と著しくずれる作家は誰か。市民大学で教えてみるがいい。鴎外や漱石について的を射た感想を述べるお年寄りで、大江健三郎がわからないという不安を打ち明ける人がいる。大江は初期は良かった。だが学生作家でいきなり有名人となった悲しさ。実生活の体験に乏しい。観念で書く。文体は翻訳調。そう私が説明しても『でもノーベル賞ですよ』とお年寄りは自信なげだ。そこで私はシュリプリュドム以下の名をあげる。すると皆さん誰もそんなノーベル賞作家はご存知ない。
『ほら御覧なさい。死んだらじきに忘れられます。文学界における大江と政界における土井たか子は並行現象です。戦後平和主義のヒロインは護憲を唱え北朝鮮の肩まで持ったが、国会議長まで昇りつめた。片や大江は時流に敏感で、文化大革命となれば紅衛兵、大学紛争となれば造反学生を持ち上げる。ノーベル賞まで昇りつめた。・・・』」(p23~24)
なにやら、
戦争中に一高教官室で、ナチス批判を聞いているような、
そんな錯覚が味わえたような気分になってきます。
平川氏の他の著作を読みながら、途中で、
折にふれてパラパラとひらくと、これがまた楽しく。
何か、気さくに声を掛けられているような嬉しさがあります。
「進歩がまだ希望であった頃」を読みながら、
この「書物の声歴史の声」をひらくと、
「福翁自伝」という短文があるのに気づかされます。
そして、つい、そのはじまりを引用したくなります。
「文壇での作家評価と世間の評価との間にはギャップがある。文壇政治が横行する文壇の評価が正しいのかというとそうは言えない。世間のサイレント・マジョリティーの常識的判断の方が正しい場合はいくらでもある。『自分は文学を愛するから、文芸雑誌は買わず、文芸評論家の文章は読まない』という友人がいるが、一理も二理もある。」
そのあとも、引用したい。
「昭和初年、早稲田の出身者が文壇を牛耳っていた頃、
改造社の現代日本文学全集が刊行され一冊一円の円本は大ヒットした。
売れに売れて63巻まで出した。
第一巻は『明治開化期文学集』で、
慶応大学の創立者福沢諭吉の文章も拾われている。
ただし『かたわむすめ』と『世界国尽』の巻之一、
計3ページというお粗末な割り当て。
それに対し早稲田文学部の創設者坪内逍遥には
第二巻の一冊まるごと503ページの割り当て。
逍遥は文学者だが、諭吉は文学者ではない、
と編集者は認定したのだ。
日本文学史の番付はこうして定まった。・・・」
六年三ヵ月にわたり熊本日日新聞に連載された
「書物の声歴史の声」(連載時の題名は「書物と私」)は
一回がそうそう長くはなく、
この「福翁自伝」の文の後半も引用したくなります。
「では近頃、文壇の番付と世間の静かなる多数の評判と著しくずれる作家は誰か。市民大学で教えてみるがいい。鴎外や漱石について的を射た感想を述べるお年寄りで、大江健三郎がわからないという不安を打ち明ける人がいる。大江は初期は良かった。だが学生作家でいきなり有名人となった悲しさ。実生活の体験に乏しい。観念で書く。文体は翻訳調。そう私が説明しても『でもノーベル賞ですよ』とお年寄りは自信なげだ。そこで私はシュリプリュドム以下の名をあげる。すると皆さん誰もそんなノーベル賞作家はご存知ない。
『ほら御覧なさい。死んだらじきに忘れられます。文学界における大江と政界における土井たか子は並行現象です。戦後平和主義のヒロインは護憲を唱え北朝鮮の肩まで持ったが、国会議長まで昇りつめた。片や大江は時流に敏感で、文化大革命となれば紅衛兵、大学紛争となれば造反学生を持ち上げる。ノーベル賞まで昇りつめた。・・・』」(p23~24)
なにやら、
戦争中に一高教官室で、ナチス批判を聞いているような、
そんな錯覚が味わえたような気分になってきます。