本をひらいていると、ときどき、
気になるページがあります。
そういうのに限って忘れ(笑)、
思い出せないという始末。
そういう箇所を、
忘れる前に書き込んでおけば。
というのも、ブログの楽しみ。
さてっと、
文春文庫「吉村昭が伝えたかったこと」に
テレビ局の話が登場します。
吉村昭氏が「関東大震災」を書いた後でした。
「震災記念日の9月1日になると、それに関する
番組を組んだテレビ局から必ず出演依頼があった。
・・私はテレビ局へおもむいた。
スタジオには、東京都の地震防災責任者が、
有識者とともにいて、それぞれ発言し、
私も意見を述べた。
が、私は、ことに防災責任者の述べる言葉に
底知れぬむなしさをおぼえ、
口を開くのも億劫になった。それは、
震災後に出版された『震災予防調査会報告』という
報告書を全く眼にしていないことを知ったからである。
・・・・・・・・・・・
翌年と次の年の震災記念日にも、
私はテレビ局に足を向けたが、
防災責任者は別の人になっていて、
その人も報告書の存在すら知らず、
それをいっこうに気にかけている様子もなかった。
それっきり私は、テレビに出ることをやめ、
新聞、雑誌に関東大震災について書くこともしなくなった。
・ ・・・・・
この度、阪神大震災が起り、私は・・・・」(p172~173)
うん。どうやら、
この防災責任者や有識者とは、
コメントをする先生の側であって、
「お弟子」になるという発想はないらしい。
先生の背中にしのびよる「底知れぬむなしさ」を
感じとれるお弟子になれるかどうか?
そんなことを、今度は自分に問いかけてみる(笑)。
そうそう。
この吉村昭氏の小文の題は
「歴史はくり返す」。
気になるページがあります。
そういうのに限って忘れ(笑)、
思い出せないという始末。
そういう箇所を、
忘れる前に書き込んでおけば。
というのも、ブログの楽しみ。
さてっと、
文春文庫「吉村昭が伝えたかったこと」に
テレビ局の話が登場します。
吉村昭氏が「関東大震災」を書いた後でした。
「震災記念日の9月1日になると、それに関する
番組を組んだテレビ局から必ず出演依頼があった。
・・私はテレビ局へおもむいた。
スタジオには、東京都の地震防災責任者が、
有識者とともにいて、それぞれ発言し、
私も意見を述べた。
が、私は、ことに防災責任者の述べる言葉に
底知れぬむなしさをおぼえ、
口を開くのも億劫になった。それは、
震災後に出版された『震災予防調査会報告』という
報告書を全く眼にしていないことを知ったからである。
・・・・・・・・・・・
翌年と次の年の震災記念日にも、
私はテレビ局に足を向けたが、
防災責任者は別の人になっていて、
その人も報告書の存在すら知らず、
それをいっこうに気にかけている様子もなかった。
それっきり私は、テレビに出ることをやめ、
新聞、雑誌に関東大震災について書くこともしなくなった。
・ ・・・・・
この度、阪神大震災が起り、私は・・・・」(p172~173)
うん。どうやら、
この防災責任者や有識者とは、
コメントをする先生の側であって、
「お弟子」になるという発想はないらしい。
先生の背中にしのびよる「底知れぬむなしさ」を
感じとれるお弟子になれるかどうか?
そんなことを、今度は自分に問いかけてみる(笑)。
そうそう。
この吉村昭氏の小文の題は
「歴史はくり返す」。