和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

9月22日今週の本棚。

2013-09-22 | 本棚並べ
今日9月22日の毎日新聞。
その「今週の本棚」に
気になった書評が二篇。
鴻巣友季子評による
岩城けい著「さよなら、オレンジ」。
こちらは、小説らしいので
私は買わない。読まないだろうなあ。
でも、書評は読ませました。

もうひとつの書評は
磯田道史評による
「吉村昭が伝えたかったこと」(文春文庫)
この本は、私はパラパラと講演の箇所を
拾い読みしたくらいだったのですが、
磯田さんの書評はいいなあ。
ぐいっと果物をしぼって、
コップに果汁をあふれさせたような味わい(笑)。

すこしだけ引用。

「だが、吉村ほど
作品の品質を信頼されていた作家もいない。
同業作家は当たり前のように吉村作品を
踏み台にして引き写した。
歴史的事実に著作権はない。
苦労して史実を見つけた吉村は、
いつも割を食っていた。
・・・・
東京中で一目置かれる古書店主が、
私に、ぼそっと、いったことがある。
『このごろは吉村昭を読むね。
自分は古文書の現物を売り買いしてるから、
歴史の現実を見てしまう。
他の作家のは嘘っぽくなってきて、
若い時分に読むのをやめた』。
吉村昭は達人が書き、達人が読む
文学なのであろう。
・・・・・ 」

引用をここで終わらせるわけにはいかない。

「・・誰よりも取材費をかけて仕事をしているのに、記録文学者は寡作になる。作家も生活者である。取材費がかさみ、作品数は少なくなるのがわかっていて、あえて記録文学を書き続けるのは、よほど志のある人間でなければ、困難である。吉村昭は『休まない作家だった。正月以外は、日々取材と執筆に勤(いそし)んだ』が、この理由で寡作となった。史実を映していないと断じれば、容赦なく、何百枚も書きためた原稿を自ら火中に投じたほどである。・・・・・・・それは歴史が証明した。東日本大震災が起きた時、人々が欲しがって品切れになった歴史書は、陳腐な歴史小説ではなかった。吉村昭の名著『三陸海岸大津波』であり『関東大震災』であった。・・・」

うん。書評を読める楽しみ。
もう、日曜日の毎日新聞は
買うのはよそうかなあ、と思っていた矢先でした。
もうしばらく読み続けることにします(笑)。
コメント
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