和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

なんでも鑑定眼。

2013-09-13 | 短文紹介
平川祐弘著「書物の声歴史の声」(弦書房)に
テレビの「開運なんでも鑑定団」について「この番組を私も楽しんでいる」(p108)という箇所がありました(笑)。

さてっと、
平川祐弘著「進歩がまだ希望であった頃 フランクリンと福沢諭吉」(講談社学術文庫)で、ご本人はこう指摘しておりました。
「私流に言い換えるならば、福沢はなんら文学を目ざすことなく、ものの見事に『福翁自伝』という日本文学史上の最高傑作の一つを書いてしまったということなのである。」(p250)

この平川氏の本の魅力は、読んでのお楽しみにして、
ちょっとつまらなそうな箇所だけを引用してみます(笑)。

「試みに『福翁自伝』が1945年以後に出た主な日本文学史の中でどのような扱いを受けているかを調べてみると、
麻生磯次著『日本文学史』(至文堂、昭和24年)に福沢その人への言及は一言もない。
久松潜一編『日本文学史近代』(至文堂、昭和32年)は吉田精一教授の執筆になるが『福翁自伝』への言及はない。伊藤整『日本文壇史』(講談社、昭和28年)は巻数の多い、羅列的な記述で、福沢の名前は再三出てくるが『福翁自伝』への言及はない。柳田泉氏ほかの『座談会明治文学史』(岩波書店、昭和36年)も同様である。市古貞次編『日本文学全史』(学燈社、昭和53年)の近代の巻は三好行雄教授の執筆になるが、そこでは福沢は『文学』を経世済民のための『学問』として把えた人としてのみ紹介されている。猪野謙二『近代日本文学史研究』(未来社、昭和39年)、平岡敏夫『日本近代文学史研究』(有精堂、昭和44年)、瀬沼茂樹『近代日本の文学――西欧文学の影響』(社会思想社、昭和53年)などの個別研究の書物にも福沢は登場しない。比較文学的見地に立つかに思われた海老池俊治『明治文学と英文学』(明治書院、昭和43年)も羊頭狗肉の論文集と呼ぶべきであろうか、福沢の名もフランクリンの名も現れない。中村光夫の『日本の近代小説』(岩波書店、昭和29年)は福沢諭吉への言及で始る珍しい書物だが、しかしそれは福沢が西洋の『文明』の中で『文学』を理解していなかった、という非難を述べるためであった。・・・」(p248)

そして、こう指摘しております。

「正宗白鳥が『福翁自伝』をいかに重んじたかはすでに述べた。小泉信三は『福翁自伝は、今日、ほとんど日本近代文学の古典の一つに数えられ』と岩波新書『福沢諭吉』の総説に書いた。チェンバレンは古今を通じて日本語で書かれた書物の中でもっとも興味深い一冊と評した。世間の多くの読者も多かれ少かれそのように思っているのが実相であろう。ところがそれでいて『福翁自伝』が日本の文学史家によって完全に無視されているこの事態は一体なにを意味するのであろうか。これこそ日本的な歪みではあるまいか。」(p252)

さらにつづきます。

「文壇における勢力分布は文学全集編集の際の割当に如実に示される。昭和の初年に出た改造社の『現代日本文学全集』はその未曽有の売行によって明治大正の文学を日本の家庭に普及させた。その円本と呼ばれた全集はその後繰返し出版されるさまざまな日本文学全集の原型となったものである。だがその際、福沢諭吉に割当てられた頁数は、『明治開化期文学集』中の三頁――三巻ではない――に過ぎなかった。その事実はまことに象徴的であった。明治日本の最大の言論人福沢諭吉はこうして日本の文壇から追放されてしまったのである。」(p252~253)

さて、ここからが、あなたの「なんでも鑑定眼」へとつながっていきそうな気がしております(笑)。この平川祐弘著「進歩がまだ希望であった頃」(私には、この題名は、よくないような気がするのですが)は、さまざまな考察を踏破してゆく歓びで、読ませます。

コメント
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