和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

わかるときが来るかも。

2013-09-06 | 本棚並べ
半藤一利と宮崎駿の「腰ぬけ愛国談義」(文春ジブリ文庫)に
こんな箇所がありました。

半藤】  ・・・・私、試写を見て思ったのですが、宮崎さんはもしかしたら、ゼロ戦ではなく、堀越の生きた昭和史を描こうとされたのではないかとも思ったのですが。
宮崎】 そうかもしれません。・・・・(p165~166)


昭和史となれば、ちなみに、

堀越二郎は、1903年6月生まれ。
竹山道雄は、1903年7月生まれ。
神西清は、1903年11月生まれ。
堀辰雄は、1904年12月生まれ。

ということで、「生きた昭和史」は、
私のなかでは、竹山道雄著「昭和の精神史」へと
自然につながるのでした(笑)。

ちなみに、竹山道雄と神西清は府立四中の友人。
「腰ぬけ愛国談義」でも、神西清が話題になっておりました(p153~)

ところで、「昭和史を描こうとされたのでは」という対談の箇所のすぐあとに、宮崎さんは「・・・で、ぼくは『それをつくると、子どもたちは土俵の外に置かれてしまうなあ』としばらく逡巡していたんです。そしたら『いまわからなくても、わかるときが来るかもしれません』と言った者がいるんです。『あ、そうか。そうかもしれない』と思いました。」(p166)


ここからは、竹山道雄のことへ、つながります。
竹山道雄に「ビルマの竪琴」という
ふつうは、児童文学に分類される一冊があります。

この「ビルマの竪琴」は、
意外と当時の大人には、
きちんと読まれていないようでした。

それについて2つの例。

「アーロン収容所」を書いた会田雄次は、
「竹山道雄先生と私」(竹山道雄著作集5・月報)をこうはじめております。

「古い話になる。私は今度の大戦で20歳代の後半を、歩兵一兵卒としてビルマで戦い、部隊がほぼ全滅した状況下で敗戦を迎え、以後英軍の収容所で、その強制労働に服した。」

「『ビルマの竪琴』は読んでいた。しかし、上のような経験を持つ私にはこれはきれいごとに過ぎて共感できなかった。それ以外はいそがしさにとりまぎれ『心』などの論文をかいま見る程度だった。味読まで行かなかったのは今から考えて痛痕の至りである。ただ、このような進歩主義の大合唱の中で、このような人が居られるのかと教示を受けるとともに共感と安堵を感じたものである。・・・」

もう一つは、未読の方の例。

志村五郎著「記憶の切絵図 75年の回想」(筑摩書房)に
「・・・竹山さんの『ビルマの竪琴』はその頃すでに発表されていたが、私はそれを読みそびれてしまった。今でも読むとかえって失望するのではないか、だから読まない方がよいのではないか、という気分がある。ずっと後、1990年に私がプリンストンの病院で手術を受けた時、麻酔医がその小説の英訳を読んで感動したと話した。その著者は私の高校のドイツ語の先生だと言うとひどく感心していた。」(p114)

うん。こうして書いてある以上志村五郎氏は、どうやら「ビルマの竪琴」をまだ未読のようです。志村氏は竹山道雄の他の著作は読んでいるようです。こう書いております。

「彼の著作の中で文学的ではなく政治的な文章に不案内な読者には1951(昭和26)年に書かれた『門を入らない人々』をまず読むことをすすめる。それから『ベルリンにて』も。ともあれ竹山道雄を今日論ずる人がないことを私は惜しむ。」(p124~125)


宮崎駿氏は、アニメから昭和史へと、わけいったとするなら、
竹山道雄氏は、「ビルマの竪琴」から「昭和の精神史」を書いておりました。

「ビルマの竪琴」が、読めない方には、
その前年(1946・昭和21年)に書かれた「失はれた青春」を読んで、
「失はれた青春」と「ビルマの竪琴」とを比較してみられることを、私はお薦めします。
どちらも、戦争という重いテーマを、軽々と扱っております。
ヤジロベエが一点で左右のバランスをとって、立って居るように、
重いテーマを、まるで詩でも読むかのように軽々と立ててみせるのでした。

その軽さのために、かえって読まれなかった世代がおられたのでした。






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新刊文庫3冊。

2013-09-06 | 本棚並べ
新刊文庫3冊注文。
昨日届く。

小川榮太郎著「約束の日 安倍晋三試論」(幻冬舎文庫)
「半藤一利と宮崎駿の腰ぬけ愛国談義」(文春文庫)
「吉村昭が伝えたかったこと」(文春文庫)

「約束の日 安倍晋三試論」は
13頁ほどの「文庫版あとがき」が必読。

単行本を持っていると、つい文庫になると、
購入に躊躇するものですが「約束の日」は買ってよかった。
いっぽう「吉村昭が伝えたかったこと」は、
文藝春秋9月臨時増刊号(平成23年)の方をお持ちの方は、それで十分。
あらためて、文庫あとがきもないし。増刊号を買いそびれた方のための文庫。

文藝春秋9月号に「記念対談」として
宮崎駿・半藤一利対談が掲載されておりましたが、
「腰抜け愛国談義」は、それに倍して興味深い。
雑誌掲載時に切り捨てられた箇所が、読みどころ。
たとえば、一箇所引用しましょ。

宮崎】 ・・・あ、そうだ。
ベルリン国際映画祭に行ったときに、ちょっとびっくりしたことがあるんです。ぼくらにインタビューに来たドイツの漫画雑誌の編集者とかアニメーション関係の連中というのは、ピアスを鼻とか口とかにつけていたり髪の毛をおっ立てていたりして、来るヤツ来るヤツほぼ全員が、ドロップアウトしたようなスタイルの連中でした。映画祭に来るのは概ねへんなやつらです。真っ当な連中は別なところにいる(笑)。・・・(p207)

これが前置き。これからが本題でした。

宮崎】 誤解があるといけないので言っておきますが、
日本に来ている外国のアニメ好きの若者たちは優秀な人が少なくありません。
さっき話したドイツとの二重国籍を持っているイタリア娘は、日本のアニメーションの『ベルサイユのばら』かなんかを見て、日本語を勉強してから来たんです。ほかにも、突然ルーマニアの娘もやって来ました。こっちは『キャプテン翼』というアニメーションを見て日本語を勉強し、日本語でアニメーションを見たくてこちらに来たとか。かれらは独学で日本語を喋れるようになったんです。凄いですね。
つい最近、中国の青年もやってきました。(p208)

こちらは、断ることになるのですが、
その後を、語っております。

宮崎】 ・・・断ったらしい。するとしばらくしてその中国人青年から礼状が来たんです。それがまあ、じつに立派な日本語なんですよ。・・日本的な漢字の使い方をしながら平仮名も使っていました。ジブリにだってあれより日本語の下手な日本人スタッフがいっぱいいます(笑)。ぼく、ちょっと感動しましてね、もう一回来いって言って呼んだんです。・・・・(p209)


まあ、雑誌で切り捨てられた箇所が、惜しまれて文庫となったような一冊なので、こちらもお買得。
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