平川祐弘著「進歩がまだ希望であった頃 フランクリンと福沢諭吉」(講談社学術文庫)のはじめの方に、こんな箇所があります。
「この二人は大の常識人である。・・・・
冨山房百科文庫から最近訳が出た『月曜閑談』を開くと、訳者土居寛之氏の趣向もあろうが、サント・ブーヴの文芸評論の第一のものとして『フランクリン論』が巻頭に掲げられている。サント・ブーヴはその重厚な評論で、このアメリカ人を『常識の詩人』として尊重しているのである。
私がフランクリンに限らず福沢の自伝を愛する理由も同じことで、文芸作品として価値あるためには奇矯の言辞を弄する必要はない。常識も彼等ほど徹底すれば、偉大なる詩人となると同感する節が多々あるからである。その証拠に近代日本の詩人の中で誰一人、『福翁自伝』を凌駕するだけの興趣に富める自伝を書き遺していないではないか。文学を意図せずして文学作品と化した二人の自伝を、文学を意図して作品となり得なかった凡百の小説よりはるかに高く私は評価するのだが、しかし国文学史の上で『福翁自伝』はいまなお黙殺されたままのようである。」(p21)
「常識の詩人」というフレーズは、
とかく反常識を掲げる文学青年には、厭な顔をされるのだろうけれども、高齢化社会には、まっとうな響きがあります(笑)。
さてっと、ここまで引用して、
私に思い浮かぶのは、詩人・室生犀星氏の竹山道雄評でした。
「・・竹山道雄は昭和37年1月、その海外紀行文に対し読売文学賞を授けられた。選評を書いた室生犀星は、舌足らずのような詩人の語り口で、世間がいわない竹山の資質を的確に衝いた。
『海外紀行もソ連、西ドイツ物に及ぶとがぜんただ者でない文体を印象させた。私はこの人は詩を持っていながら物識りや学問に邪魔をされて、詩は文体の内面にふかく閉じこめられてしまったのだという解釈をこころみていた。・・・・現代作家の何人かが持つどうさつの細かい鋭さ等は、あっという間に大切な物象をこともなげに描き進んで、それには拘泥しないで幾らでも書けるあふれる物を見せていた。』」(p377)
上の引用は、平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)から。
ところで、
国文学史の上では、どうかとは別に、
「近代日本の百冊を選ぶ」(講談社・1994年)では、
福翁自伝は氷川清話とともに選ばれておりました
(その選者は、伊東光晴・大岡信・丸谷才一・森毅・山崎正和)。
その「近代日本の百冊を選ぶ」には、
竹山道雄氏の本は選ばれておりません。
百冊に選ばれていないものを読む、
という光栄が、竹山道雄の本にはあります(笑)。
「この二人は大の常識人である。・・・・
冨山房百科文庫から最近訳が出た『月曜閑談』を開くと、訳者土居寛之氏の趣向もあろうが、サント・ブーヴの文芸評論の第一のものとして『フランクリン論』が巻頭に掲げられている。サント・ブーヴはその重厚な評論で、このアメリカ人を『常識の詩人』として尊重しているのである。
私がフランクリンに限らず福沢の自伝を愛する理由も同じことで、文芸作品として価値あるためには奇矯の言辞を弄する必要はない。常識も彼等ほど徹底すれば、偉大なる詩人となると同感する節が多々あるからである。その証拠に近代日本の詩人の中で誰一人、『福翁自伝』を凌駕するだけの興趣に富める自伝を書き遺していないではないか。文学を意図せずして文学作品と化した二人の自伝を、文学を意図して作品となり得なかった凡百の小説よりはるかに高く私は評価するのだが、しかし国文学史の上で『福翁自伝』はいまなお黙殺されたままのようである。」(p21)
「常識の詩人」というフレーズは、
とかく反常識を掲げる文学青年には、厭な顔をされるのだろうけれども、高齢化社会には、まっとうな響きがあります(笑)。
さてっと、ここまで引用して、
私に思い浮かぶのは、詩人・室生犀星氏の竹山道雄評でした。
「・・竹山道雄は昭和37年1月、その海外紀行文に対し読売文学賞を授けられた。選評を書いた室生犀星は、舌足らずのような詩人の語り口で、世間がいわない竹山の資質を的確に衝いた。
『海外紀行もソ連、西ドイツ物に及ぶとがぜんただ者でない文体を印象させた。私はこの人は詩を持っていながら物識りや学問に邪魔をされて、詩は文体の内面にふかく閉じこめられてしまったのだという解釈をこころみていた。・・・・現代作家の何人かが持つどうさつの細かい鋭さ等は、あっという間に大切な物象をこともなげに描き進んで、それには拘泥しないで幾らでも書けるあふれる物を見せていた。』」(p377)
上の引用は、平川祐弘著「竹山道雄と昭和の時代」(藤原書店)から。
ところで、
国文学史の上では、どうかとは別に、
「近代日本の百冊を選ぶ」(講談社・1994年)では、
福翁自伝は氷川清話とともに選ばれておりました
(その選者は、伊東光晴・大岡信・丸谷才一・森毅・山崎正和)。
その「近代日本の百冊を選ぶ」には、
竹山道雄氏の本は選ばれておりません。
百冊に選ばれていないものを読む、
という光栄が、竹山道雄の本にはあります(笑)。