和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

身近な図書館に。

2014-06-18 | 本棚並べ
山口仲美さんの新刊が届く、幻冬舎新書
「大学教授がガンになってわかったこと」。


それを読むまえに、昨日の読書
「すらすら読める今昔物語集」の
「はじめに」で山口仲美さんは
こう書いておりました。

「・・・1040の説話は『今は昔』とはじめ、
『となむ語り伝えへたるとや』でおさめて、
書き記したのは、誰なのか?
残念ながら、作者は分からない。
いろいろな説があるけれど、わたしは
大寺院に所属していた無名の坊さん
という説が、真実に近いように思われる。
この無名の坊さんは、高遠にして崇高な
仏教徒ではない。人間くさい坊さんだった。
それは、『今昔物語集』の説話を熟読
してみると、よく分かる。けれども、
彼の人間を見る目は、この上なく確かである。
だからこそ、こんなに面白い作品ができたのだ。
坊さんは、寺院内にある身近な図書室に
よく出入りした。たくさんの書物に目を通し
ているうちに、彼は一大野望を抱いた。
インド・中国・日本という三国の説話を
集めて書き記してやろうと。彼は、構想を立て、
それに従って説話を集めては、一人コツコツと
書き記していった。一日一話ずつ書いていっても、
四年あれば、1040話の説話を書き記すことが
できる。何人か複数の人で執筆しなければ
書き切れないほどの説話の分量だと
考える人もいるけれど、わたしはそうは思わない。
全くの創作説話を1040も書くのは、大変である。
けれども、『今昔物語集』には数多くの
タネ本がある。・・・これらのタネ本を座右に
おいて、独自の筆を加え、独特の魅力を放つ
1040の説話を書いていったのである。
偏執狂的で、粘り強く、根気のある人なら、
一人で十分になしとげられる作業量である。
作者と思しき坊さんは、毎日説話を書いては、
数年間を充実して過ごしていたに違いない。
だが、もう少しで完成というところで、
作業は中断された。坊さんは、病を得た
のであろうか?それとも何かよんどころない
事情で、中止せざるを得なかったのであろうか?
事実は、謎のベールに包まれ、
なんとも気を引く作品なのだ。・・」
コメント
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