各章ごとに、読ませる新潮新書の新刊
平川祐弘著「日本人に生まれて、まあよかった」。
各章ごとに、ていねいに読みたい方むけです(笑)。
いうなれば、
胸襟を開いて、私語をまじえながら語られた
名講義を聴ける楽しみ。
個人名をまじえながら語られるのに、
違和感があるかもしれませんが、
まあ、最後まで読んでみて下さいと、
私は、お薦めするのです。
ということで、今回は第一章を引用。
この箇所が、おもわず引用したくなりました。
「どういう新聞を読むかによって人間は
出世もするし、失敗もします。
私は東京大学でまだ一年生だった岡田克也を
教えたことがありましたが。顔は大きいし
目立つ学生だったから民主党の最高幹部として
登場した時、写真を見てすぐそれとわかった。
家永三郎教授執筆の高校の日本史教科書が
文部省の検定で修正を求められた際、
家永教授が、その措置を違憲違法として
国家賠償請求を起こすという、いわゆる
家永裁判がありました。その訴訟のことが
クラスで話題となると、学生の岡田は
『朝日新聞』の社説のような意見を堂々と
述べました。そのように模範解答をすなおに
言い続けていれば、世論にも支持されて、
ある程度までは必ず出世できるのが
今の日本の仕組みなのですが、
実はそれが落し穴なのです。
民主党政権を担う左翼秀才の面々は、
日本国内ではかつてはもてた人であった。
それだからかつては選挙に勝てたのでしょう。
だがいまやもてなくなった。日本でも通用しない、
ましてや世界で通用するわけがない。
これは大変なことです。問題が深刻なのは
これが特定個人の資質の欠陥であるというより、
戦後民主主義における教育情報環境の
構造的欠陥のせいだからです。
菅直人という人も仙谷由人という人も
鈍才だから妙な政治的判断を下したのかというと、
そうではない。彼らは戦後日本の
教育情報空間の中で育った優等生で、
いってみれば大新聞の論説通りに行動した。
彼らは左翼系大新聞の模範解答通りの答えを述べた。
・・だからこそ失政が続いたというのが私の見立てです。」(p86~87)
え~と、
岡田克也氏が、『朝日新聞』の
社説のような意見を堂々と述べたように、
私はというと、
平川祐弘氏の『私の見立て』をここに堂々と
引用しているのに相違ありません(笑)。
さて、引用した箇所の後には、
その家永三郎氏への言及が続きます。
この、引用した箇所の前には、
土井たか子氏・福島瑞穂氏のお二人が登場。
ここでは、前の箇所からすこし引用。
「彼女らは日本の名門大学の出身で
理解力も優秀でした。
彼女らは日本の大新聞の
社説通りの政見を述べたから、
日本の政界でもある程度出世できたのです。
しかし自分を取り巻いている
国内のマスコミの情報環境と
その価値観から脱却できなかったからこそ、
戦後民主主義の優等生たちは
国際社会の現実がつかめず、
みじめな最後を迎えつつあるのだ
ということを忘れてはなりません。」(p84)
このすぐあとに、どういうわけか、
東條英機氏が登場します。
その流れは、読んでのお楽しみとなります。