平川祐弘の新潮新書の新刊、
「日本人に生まれて、まあよかった」。
の「まえがき」と「あとがき」とから引用。
「まえがき」では2013年4月3日に
掲載された平川祐弘氏の文が再録されておりました。
そこから端折って引用。
「・・漱石はその先、長春、ハルビンまで北上し、
次いで韓国に南下してなお見物したのだが、
続きは書かずに終わった。そこが物足りない。
というのは、五十日間の大名旅行から帰国直後、
伊藤博文がハルビン駅頭で暗殺されたからだ。」
「漱石は、伊藤公狙撃の凶報に触発されてやはり
書いていた。記事は11月5、6日付のトップに
掲載されたが、『満洲日日新聞』は発行が大連なものだから、
『漱石全集』にも洩れたのである。黒川創が見つけて、
『新潮』2月号に出た・・・・
日韓併合に疑義を呈した石黒忠悳(ただのり)や上田敏の
ような政治的叡智は示していない。正直に
『余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た』
『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた』と書いている。」(p5)
そして、「あとがき」の最後は
こうなっておりました。
「・・・・しかしさはいいながら、
薄煕来(はくきらい)や張成沢(ちょうせいたく)が
あるいは逮捕され、あるいは処刑される隣国を見て
『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、
まあ善かつたと思つた』という漱石の発言に、
内心で共感している自分を感じます。
そのような正直な感情を率直に言えることこそが
真実の言論の自由であると私は信じます。」(p264~265)
あらためて、この新書の第二章
「本当の『自由』と『民主主義』」の
p115~119あたりを読み直したりします。
さてっと、それはそれとして、
この詩を引用したかったのでした(笑)。
自由 黒田三郎
夕飯の食卓で
僕は小学校三年生の息子と向き合い
妻は大学生の娘と向き合って坐る
「早く死んでくれないかなぁ よっぱらいお父様」
そう言って息子はじろりと僕の顔を見る
さすが一瞬妻も娘も鼻白む
だから僕は笑って言ってやるのだ
「こんな言論の自由なところって どこにあるかい」
「日本人に生まれて、まあよかった」。
の「まえがき」と「あとがき」とから引用。
「まえがき」では2013年4月3日に
掲載された平川祐弘氏の文が再録されておりました。
そこから端折って引用。
「・・漱石はその先、長春、ハルビンまで北上し、
次いで韓国に南下してなお見物したのだが、
続きは書かずに終わった。そこが物足りない。
というのは、五十日間の大名旅行から帰国直後、
伊藤博文がハルビン駅頭で暗殺されたからだ。」
「漱石は、伊藤公狙撃の凶報に触発されてやはり
書いていた。記事は11月5、6日付のトップに
掲載されたが、『満洲日日新聞』は発行が大連なものだから、
『漱石全集』にも洩れたのである。黒川創が見つけて、
『新潮』2月号に出た・・・・
日韓併合に疑義を呈した石黒忠悳(ただのり)や上田敏の
ような政治的叡智は示していない。正直に
『余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た』
『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた』と書いている。」(p5)
そして、「あとがき」の最後は
こうなっておりました。
「・・・・しかしさはいいながら、
薄煕来(はくきらい)や張成沢(ちょうせいたく)が
あるいは逮捕され、あるいは処刑される隣国を見て
『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、
まあ善かつたと思つた』という漱石の発言に、
内心で共感している自分を感じます。
そのような正直な感情を率直に言えることこそが
真実の言論の自由であると私は信じます。」(p264~265)
あらためて、この新書の第二章
「本当の『自由』と『民主主義』」の
p115~119あたりを読み直したりします。
さてっと、それはそれとして、
この詩を引用したかったのでした(笑)。
自由 黒田三郎
夕飯の食卓で
僕は小学校三年生の息子と向き合い
妻は大学生の娘と向き合って坐る
「早く死んでくれないかなぁ よっぱらいお父様」
そう言って息子はじろりと僕の顔を見る
さすが一瞬妻も娘も鼻白む
だから僕は笑って言ってやるのだ
「こんな言論の自由なところって どこにあるかい」