和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

どこにあるかい。

2014-06-14 | 詩歌
平川祐弘の新潮新書の新刊、
「日本人に生まれて、まあよかった」。
の「まえがき」と「あとがき」とから引用。

「まえがき」では2013年4月3日に
掲載された平川祐弘氏の文が再録されておりました。
そこから端折って引用。

「・・漱石はその先、長春、ハルビンまで北上し、
次いで韓国に南下してなお見物したのだが、
続きは書かずに終わった。そこが物足りない。
というのは、五十日間の大名旅行から帰国直後、
伊藤博文がハルビン駅頭で暗殺されたからだ。」

「漱石は、伊藤公狙撃の凶報に触発されてやはり
書いていた。記事は11月5、6日付のトップに
掲載されたが、『満洲日日新聞』は発行が大連なものだから、
『漱石全集』にも洩れたのである。黒川創が見つけて、
『新潮』2月号に出た・・・・
日韓併合に疑義を呈した石黒忠悳(ただのり)や上田敏の
ような政治的叡智は示していない。正直に
『余は幸にして日本人に生れたと云ふ自覚を得た』
『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、まあ善かつたと思つた』と書いている。」(p5)

そして、「あとがき」の最後は
こうなっておりました。

「・・・・しかしさはいいながら、
薄煕来(はくきらい)や張成沢(ちょうせいたく)が
あるいは逮捕され、あるいは処刑される隣国を見て
『余は支那人や朝鮮人に生れなくつて、
まあ善かつたと思つた』という漱石の発言に、
内心で共感している自分を感じます。
そのような正直な感情を率直に言えることこそが
真実の言論の自由であると私は信じます。」(p264~265)


あらためて、この新書の第二章
「本当の『自由』と『民主主義』」の
p115~119あたりを読み直したりします。

さてっと、それはそれとして、
この詩を引用したかったのでした(笑)。


   自由    黒田三郎

 夕飯の食卓で
 僕は小学校三年生の息子と向き合い
 妻は大学生の娘と向き合って坐る
「早く死んでくれないかなぁ よっぱらいお父様」
 そう言って息子はじろりと僕の顔を見る
 さすが一瞬妻も娘も鼻白む
 だから僕は笑って言ってやるのだ
「こんな言論の自由なところって どこにあるかい」
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義歯の二本の針金の腕。

2014-06-14 | 詩歌
また、黒田三郎の詩をひらく。
黒田三郎著作集1(思潮社)は詩集の巻。

詩集「ひとりの女に」
詩集「小さなユリと」
詩集「もっと高く」
などを出した詩人は
1919(大正8)年生まれ
1980(昭和55)年1月8日に亡くなります。

亡くなった年の5月に
詩集「流血」が出ておりました。
で、「流血」から一篇の詩を引用。

恋の歌、子との歌の詩人に
義歯の歌が、ありました(笑)。


   老いて

 使いものにならなくなった歯が
 義歯に支えられて
 やっとのことで
 口中に残っている

 自分が自分の邪魔になる
 なんて
 そんな馬鹿なことが
 あるものだろうか

 それは自分の歯なのに
 義歯を噛み合わすたびに
 痛んで
 そしゃくの邪魔をするだけなのだ

 もともと義歯を支えるための
 大事な軸歯だったのに
 その歯もやっと抜け落ちて
 義歯の二本の針金の腕だけが残った

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