和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ダンテをよもうと思った。

2014-06-05 | 詩歌
平川祐弘著「ダンテ『神曲』講義」(河出書房新社)は
「まえがき」(p9~18)から楽しい。
ちょっと、本文へうつるのが惜しいぐらいの楽しさ(笑)。

ということで、ボンヤリしていたら、
黒田三郎の詩「あす」が思い浮かぶ。


   あす

 うかうかしているうちに
 一年たち二年たち
 部屋中にうずたかい書物を
 片づけようと思っているうちに
 一年たった

 昔大学生だったころ
 ダンテをよもうと思った
 それから三十年
 ついきのうのことのように
 今でもまだそれをあす
 よむ気でいる

 自分にいまできることが
 ほんの少しばかりだとわかっていても
 でも そのほんの少しばかりが
 少年の夢のように大きく
 五十歳をすぎた僕のなかにある


さて、黒田三郎さんは、六十歳を過ぎる頃は、
もう、ダンテを読んでいたでしょうか(笑)。

ということで、
平川祐弘氏の「まえがき」を引用。

「・・2007年春、
私が関西での生活から東京に戻るや、
荻窪の読売文化センターは私を講師に招いた。
東大時代の私の師の島田謹二教授も晩年
そのセンターで講義されたから、私もいかがですか、
という言葉巧みなお誘いであった。・・・・
私は喜んでお引き受けした。・・・・
私自身、開店休業になりはせぬか、とひそかに
おそれつつ教場に赴いて驚いた。四半世紀昔、
島田先生の講義に列した方々が、今度は私の
『神曲』講義にも現われたからである。
それやこれやで私は、かつてない熱心な、
社会体験の豊かな、年齢も学歴も高い聴衆を
相手にお話することとなった。・・・・
聴衆の皆様は、大学教授も、家庭婦人も、
理学博士も、学部長も、元会社役員も、編集者も、
大学院生も、また山梨の笛吹川の奥から上京してくる
学士号をもつ葡萄作りの方もおられた。どなたも
ダンテの専門家ではない。とはいえ、かつて
これほど知的水準の高い人々を最高学府と呼ばれる
場所でも教えたことはない。これこそが日本社会の
知的ソフィスティケーションを示すものではあるまいか。
・・・まことに嬉しかった。」(p15~16)

う~ん。その時の講義を
読めるしあわせ(笑)。
コメント (2)
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